大内義隆寄進状
おおうちよしたかきしんじょう
概要
萩という地名が表記されたものとしては現存最古の文書。大内義隆はこの文書により、善福寺の僧元鹵桂本によって開発された萩三角州内の田地1町を安堵した。臨済宗の善福寺は永享年間(1429~40)、指月山麓に創建されたといわれ、戦国時代に元鹵桂本によって再興された。指月山麓に居館を構えていた吉見正頼は、天正16年(1588)に没して同寺に葬られたが、毛利輝元が指月に居城を築くにあたり、三角州東南の川島に移された。
おおうちよしたかきしんじょう
萩という地名が表記されたものとしては現存最古の文書。大内義隆はこの文書により、善福寺の僧元鹵桂本によって開発された萩三角州内の田地1町を安堵した。臨済宗の善福寺は永享年間(1429~40)、指月山麓に創建されたといわれ、戦国時代に元鹵桂本によって再興された。指月山麓に居館を構えていた吉見正頼は、天正16年(1588)に没して同寺に葬られたが、毛利輝元が指月に居城を築くにあたり、三角州東南の川島に移された。
文化庁 〒602-8959 京都府京都市上京区下長者町通新町西入藪之内町85番4 メール:online@mext.go.jp
共同運営NII Powered by GETA (C) The Agency for Cultural Affairs