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フルスト原遺跡

ふるすとばるいせき

概要

フルスト原遺跡

ふるすとばるいせき

史跡 / 沖縄 / 沖縄県

沖縄県

石垣市大浜

指定年月日:19780303
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

S52-06-025フルスト[[原]ばる]遺跡.txt: フルスト原遺跡は、八重山の主島、石垣島の南部台地上にある[[城]ぐすく]状の遺構をもつ遺跡であり、島民の間では、島の豪族[[遠弥計赤蜂]おやけあかはち]の居城跡といい伝えられてきたものである。
 石垣島の諸豪族は、14世紀末以降、首里王府に朝貢していたが、明応9年(1500)大浜邑の赤蜂は、朝貢中止を企てたため、尚真王の征討を受け、3000余人の征討軍と戦闘の末敗死したといわれる。赤蜂が住んでいたとされる大浜地区には、本遺跡のほかに[[城]ぐすく]跡を確認しえないし、また、この遺跡を東方宮良湾側から見た景観が、『球陽』に、首里王府の兵を迎えた赤蜂が「嶮岨を負い、大海に面して」軍勢を整えていたとある光景を彷彿とさせることなどから、本遺跡を赤蜂の居城跡とすることは十分可能である。
 台地東面の高さ約20メートルの絶壁上に、沖縄本島等の[[城]ぐすく]のそれと類似する珊瑚性石灰岩を積んだ障壁遺構が連なり、また、同様の石壁を四囲に繞した郭状遺構が十数区画見られ、内部に中国製陶磁器や八重山焼の破片が散布し、さらに、遺跡西南部に[[御嶽]うたき]跡が在ることなど、[[城]ぐすく]としての性格を指摘できるが、郭状遺構の配置等には特異な面もうかがえる。
 いずれにしても、本遺跡は、赤蜂の居城であったという伝承と相まって、沖縄の歴史を理解する上で、貴重な資料となるものである。

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キーワード

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