鹿島立神影図
かしまだちしんえいず
概要
春日社の縁起によれば、神護景雲2年(768)、本社第一殿の祭神武甕槌神(たけみがづちのかみ)は、もとの鎮坐地である常陸の鹿島(かしま)から白鹿に乗って飛来し、御蓋山(みかさやま)の頂に降り、追ってそれぞれ他所からこの地に来た三神と共に山麓に建てられた御殿に祀られたのが神社の創まりという。図の下部に描かれたのが、武甕槌神とそれに従って来て社司の祖となった中臣時風・秀行である。その上にもう一体、同様に乗鹿の像があるのは、この種の図に異例であるが、本社第二殿の経津主神(ふつぬしのかみ)が下総の香取(かとり)から移座したことを、第一殿の場合にならって同形で付加したかと思われる。上端部の御蓋山と、その下の鏡をとり付け垂(しで)をたらした榊(さかき)は、縁起に、山上から麓へは時風・秀行の抱える榊に乗って移ったとされ、また後代には榊を神体とせよとのお告げも記されているのに基いている。鏡を付けた榊は実際に春日社で神木として用いられ、五本の垂は、多少縁起を逸脱し、本社四殿に、後世新たに祀られた若宮を加えた五神に相当すると思われる。縁起を題材としながら、凝縮的な構図によって礼拝画とした、特色ある図である。
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.320, no.181.