泥眼
でいがん
概要
「泥眼」は目に金泥を施すところから名付けられた面。八世宝生大夫古将監重友(1619~1685は『面論記』に「海人の切に用面也」と記し、能〈海人(海士)〉の後シテのような成仏した女人や仏体の面という。一方で、金泥が涙のように光り、深い怨みを内に籠めた表情にもなることから能〈葵上〉などにも用いる。
面裏には鼻に知らせ鉋らしきものがあり、「天下一河内」の焼印があって凸部に金泥が施される。また「泥眼」の朱墨と金蒔絵で「能静(花押)」と記されるが、能静は喜多流宗家12世・六平太能静(1814~1869)であり、附属の面袋にも「喜多霞」と「ていかん」との題簽が平金糸で織り出されている。
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国立能楽堂 資料展示室