源家長記
みなもとのいえながき
概要
『源家長記』は『家長日記』ともいい、鎌倉時代初期の歌人として著名な源家長(一一七〇ヵ~一二三四)の回想日記である。建久七年(一一九六)の宮中出仕のことから承元元年(一二〇七)の白河殿御堂(最勝四天王院)供養の記事の途中まで、一二年間のことをほぼ順を追って記している。記事中には建仁元年(一二〇一)の和歌所設置、同年からの『新古今和歌集』撰述前後の事情などを明らかにするものがあり、また建仁二年の藤原定家任中将のことなど当時の歌壇の動向を伝えて国文学史上に重視され、また男性の手になる仮名日記としても注目されている。
この冷泉家本は、その鎌倉時代後期の書写になるもので、体裁は綴葉装縦長本、本文料紙と共紙の原表紙の中央に「源家長記」と外題を墨書している。料紙には斐交り楮紙を用い、本文は仮名文で半葉九行、所収歌は二字下げで一首二行書に書写しており、全帖一筆で、文中に本文と同筆でみせ消などの訂正がある。本文中には記述の順序の混乱している部分があり、これはその祖本の錯簡によるものと考えられ、また後半部分には「こゝよりすこしくちてみえす、心うへし」「又すこしちきれて見えす」などの小字注記があり、古く冷泉家本の祖本の後半部分が朽損していたことを伝えている。
『源家長記』の伝本は少なく、従来は江戸時代初期の書写になる宮内庁書陵部本が最善本として知られていたが、この冷泉家本は書陵部本の親本にあたる現存最古写本である。文中には書陵部本にない慈円の歌一首(建永元年後京極良経追悼記事中の「山をくのそらになりぬるこゝろかなこハいかにせんよそのあさちふ」)を含むなど、『源家長記』諸伝本中の最も古い形を存しており、中世歌学史研究上に価値が高い。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)