裸婦半身像

絵画  素描 / ヨーロッパ 

ドガ、エドガー (1834-1917)
1891頃
コンテ、赤チョーク・紙
43.0x×50.0
額装

 ドガと写真とを結ぶ逸話は美しい。衰えゆく視力を補完する第二の目として、古典的絵画の素養を備えた画家と新しきメディアとの幸福な邂逅の神話は、私たちが作品に近づくのに避けては通れぬ門である。条件反射的にドガの作品に張り付けられる「スナップショット的」という形容詞をも今では抵抗なく呑み込める。
 翻って何をもってスナップショット的と「感じる」かという点について考えを巡らせてみよう。まず第一に中心となるモティーフが完結していないということ。第二に画面が入念に仕上げられていないということ。第三に特に人物画の場合、モデルがこちら側に意識を向けていないこと、などが挙げられよう。されば、この絵に及第点を付けることに異論のある人はいまい。
 しかし話は直線に結ばれない。輪郭線をとる。陰影を付ける。彩色する。絵画はシャッターの瞬きに比して圧倒的に持続を必要とするジャンルである。その時、画家は単なる転記者に堕さない。省略し、変形させ、自らの造形言語として咀嚼する。
 おまけに本作では、素描の転写という、ドガ独自の手法が介在する。湿らせた原画に紙を重ね、プレス機を通して描き出す。誤解を避けるならば、これは作品を濫造し効率良く収入を得ることが主目的ではなかった。そうではなくて、転写によって生まれる鏡像こそが画家の狙いである。左右を反転された像は、当初のコンテクストをあっさり脱ぎ捨てて、創造主の思いもよらない「かたち」の孕む可能性を提示するだろう。ドガはそれらを手持ちのカードとし、新たな物語を紡ぎ出す出番をうかがっていた。
 予期せぬ瞬間、準備なき本番。スナップショットのもつ魅力は何よりもその臨場感である。パリの一室で水滴を拭う裸婦を前に筆を走らせる画家。私たちは画面にロマン差し込まずにはいられない。しかしそれは甘美な罠である。何重にも周到に仕掛けられた罠である。(生田ゆき)

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