銅造地蔵菩薩半跏像 附 台座、光背
どうぞうじぞうぼさつはんかぞう つけたり だいざ、こうはい
概要
本像は、白山比咩神社の前身である白山本宮所属の白山寺にあった、地蔵院護摩堂の本尊として祀られていたと伝えられる。白山寺は白山本宮の境内にあり、地蔵院護摩堂、本地堂などが立ち並んでいたが、明治時代初期の神仏分離の際に堂は失われ、本像も取り除かれて白山寺から遷座したといわれている。
形状は白毫相、首に三道をあらわし、耳朶は環状である。袈裟を纏い、左手に宝珠(後補)を捧げ、右手は一指、三指、四指を念じる。半跏踏下坐する。
構造は、頭躰部、両肩、両手、膝部、足先、台座の八部分による蠟型別鋳組合せである。表情はやさしく穏やかで、衣文は写実的で鎌倉時代の様式技法を踏襲し、蠟型鋳物独特の美しい肌合いの仕上がりである。全体に鍍金をした金銅仏であったと思われるが、現在は剥落しており鍍金はほとんど残っていない。
台座にある銘文によると、南北朝時代の康永元年(1342)に作成されたものであり、江戸時代の天和2年(1682)に加賀藩の鋳物師「平井但馬守家長」が台座部分を補鋳したことがわかる。
このように、銅造地蔵菩薩半跏像は、洗練された技巧が見られる優品であり、制作年が判明している南北朝時代の基準作として貴重な仏像である。また、白山における神仏分離の歴史を伝える遺例としても貴重であり、文化財的価値は高く、有形文化財に指定し、その保存を図ることが必要である。