胎蔵図像
たいぞうずぞう
概要
智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)(814~891)は、唐から一千余巻に上る多数の聖教類を請来した。請来目録に「胎藏諸尊樣一巻」とあるのがこの胎蔵図像を指すものと見られる。円珍は大中9年(855)に長安青龍寺において胎蔵灌頂を受けており、その後自ら胎蔵界の図を描いたと記録にあるのが注意される。上巻巻頭には「大毘盧遮那成佛神變加持經中譯出大悲胎藏生秘密曼荼羅主畫像圖巻一[分爲上下/今此上巻]」、巻尾には「珍自分之 爲上下巻」とあり、当本の具名と請来の後円珍自身により二巻に分巻されたことがわかる。
具名によると、善無畏(ぜんむい)が『大日経』を漢訳する際に、胎蔵界関係の主要な尊像を取り出して描いたことが知られる。上巻には中台八葉院、持明院、蓮華部院、金剛手院、文殊院、除蓋障院、地蔵院、虚空蔵院の諸尊を、下巻には釈迦院諸尊と外金剛部院の諸天を描き、巻末には拈華持香炉の善無畏の姿を表している。各尊にはいまだインドや西域風の影響をとどめるおもむきがある。巻頭部の毘盧遮那如来が菩薩形ではなく如来形に表されるなど、現行の胎蔵界曼荼羅とは各所で異なる図像的特色があり、図像研究の上ではきわめて重要な存在である。
奥書によって当本の書写の事情を見ると、まず三井寺唐院経蔵の円珍請来本を鳥羽僧正覚猷(かくゆう)が絵師応源(おうげん)に命じて写させ(第一転写本)、ついで治承5年(1181)に第一転写本(法輪院本)を真円が自ら書写し(第二転写本)、建久5年(1194)には第二転写本(大宝院本)を禅覚、禅実および内府阿闍梨が書写している。すわわち本書は、円珍請来本の第三転写本である。
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.313, no.158.