飯塚観世音三十三番石仏 いいづかかんぜおんさんじゅうさんばんせきぶつ

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有形民俗文化財 / 江戸 / 東北 

秋田県
江戸時代末期/1835年頃~1841年頃
石仏
縦:約60cm 横:約22cm 奥行き:約15cm
32躯
秋田県潟上市飯田川飯塚字中山16番地
潟上市指定
指定年月日:20130628
宗教法人 神明社
有形民俗文化財

三十三石仏の内、1番は後世に寄進、2番は所在不明、三十番・三十二番は大きく破損している。
周辺関連文化財
「萬霊供養塔」市指定有形民俗文化財
 天保四・五年(一八三三)は、全国的な大凶作で、飯田川も二年続きの大飢饉に見舞われ、木根や土まで口にするという状態で、飯塚の豪農門間長之丞は、あらゆる手段を講じて救済に当ったが、加えて悪疫流行し、餓死や病に斃(たお)斃れるもの数知れず、地獄絵図さながらであったという。翌天保六年(一八三五)に長之丞の母がこれら斃れた人々をあわれみ、又幼な子の運命に心を痛めて、これらの石碑、石像を建てて冥福を祈った。
「宝篋印塔」市指定有形民俗文化財
萬霊供養塔、鬼子母神などと同じ場所にあることからこれらは一連の関係があるようだ。この塔はもともと宝篋印経を納めた塔であったが、後世墓標や供養塔として用いるようになった。門間長之丞が天保の大飢饉で斃れた人の供養塔として建てたといわれる。
 宝篋印塔のような格式の高い供養塔を建てるにふさわしく、十王堂も又格式の高いお寺であったろうと想像される
「木像観音像(二十八躯)
 飯塚村の吉兵衛が享保13年(1728年)に寄進したもので、当時は金色であったと見受けられる。
 もともとは三十三観音であったものが、現存は二十八躯となっている。

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