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新曽沖内の馬頭観音像

にいぞおきないのばとうかんのんぞう

概要

新曽沖内の馬頭観音像

にいぞおきないのばとうかんのんぞう

その他 / 江戸 / 関東

江戸前期/1670

・安山岩製
・舟形光背
・三面六臂立像

・床面からの高さ :110.7 ㎝
・上幅:50.8 ㎝
・下幅:42.6 ㎝
・棹厚:21.4 ㎝(鼻の位置で計測)

1基

戸田市指定
指定年月日:20140128

有形文化財(美術工芸品)

『新編武蔵風土記稿』(天保元年・1830)によると、新曽村に「観音堂 馬 頭観音を安ず、常楽院の持、」という記述がある。同書によれば常楽院は、「(前略)開山の 僧法伝明応二年に開きしと云、福寿院より以下当寺まで皆観音寺の門徒なり」とあり、観 音寺の末寺である。観音寺は真言宗の寺院で、縁起では永徳三(1383)年に戸田城主桃井 直常による創建とされている。このように、観音堂は観音寺の下に置かれ ていたためか、対象資料には、桃井播磨守の愛馬のための供養塔であるという伝説がある。
観音堂内の什物である磬子には「奉納馬頭観世音御宝前 天保八酉年十二月吉日 武州足立郡戸田領新曽村 願主小山治左ヱ門」という銘文がある。上記の『新編武蔵風土記稿』の記述とこの天保 8(1837)年の紀年銘から、少なくとも記録上は 19 世紀初め 頃には観音堂が存在したことがわかる。
また、観音堂の外側に吊り下げられた鰐口に次のような銘文があり、明治 14(1881)年 に観音堂が再建されたことが推察できる。
「 奉再建馬頭観世音 」
「 明治十四年九月 観音寺住横井義典代 願主沖内講中 世話人小山玄一郎 同細井芳蔵 」
以前行われた市内石造物悉皆調査の報告によると、現在の観音堂は昭和 48 年の再建で、以前は三間四方の藁葺の観 音堂であり、人々からは「かんのんさま」と呼ばれていたという。今回の調査で、厨子内部の幕に「昭和四十八年吉日」という墨書きを確認したことから、昭和 48 年に厨子もつくられたことがわかった。
観音堂には、「梵字(カン)奉読誦普門品経馬頭観世音菩薩攸 戸田村新曽沖内観音堂」 という版木がある(写真11)。『新曽・上戸田の民俗』には「馬頭観音の配りもののお札 とオヒネリ」の写真が掲載されており、図像が描かれた別の札が報告されている。だが、観音堂にあった版木には使われた痕があるため、この版木でも札を刷って配布したと考えられる。
さらに、観音堂のご開帳は年二回、二月十九日と八月十九日で、蕨市近隣から参詣者が集まり、祭りの前夜には観音堂前に桟敷が設けられて、三番叟や農民の仕草を演じる神楽が奉納さ れ、十二年に一度の午年には、足立観音霊場巡りの番外寺として開帳法要が行われたとい う。

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