鞍迫観音堂算額
くらはさまかんのんどうさんがく
概要
鞍迫観音堂算額
くらはさまかんのんどうさんがく
岩手県
江戸/1743
板額 墨書
縦(端)32.8㎝ (中央)34.5㎝,横76.0㎝,厚さ1.5㎝
1面
岩手県遠野市宮守町上鱒沢19-37-2
岩手県指定
指定年月日:20170407
白山神社
有形文化財(美術工芸品)
鞍迫観音堂は、明治以前は鞍(あん)迫(ぱく)山(さん)福(ふく)瀧(りゅう)寺(じ)を別当寺とし、遠野郷七観音のひとつである。福瀧寺は明治初年に廃寺となり白山神社と改称された。本尊は平安中期ごろの制作とされる十一面観音像(遠野市指定有形文化財)が残っている。鞍迫観音堂は、仁寿2年(852)に慈覚大師円仁が自刻の十一面観音像を安置したことに始まるという伝承があり、万治2年(1659)に全焼し、寛文10年(1670)に再建されたものが現存観音堂(平成6年岩手県指定有形文化財)である。算額は寛保3年(1743)閏4月に上鱒沢村の宇夫長三郎(幸清)が奉納したものであり、子孫の宇夫氏が神社別当を継承して現在に至っている。