永泉寺惣門 附棟札
えいせんじそうもん つけたりむなふだ
概要
永泉寺は石堂山と号し、曹洞宗の寺である。かつて池田五か寺(地蔵院・観音院・仏光院・蓮華院・明圓寺)といわれたうちの一つ蓮華院を移転・再興したもので、その際真言宗を曹洞宗に改宗し、名古屋の善篤寺六世雲山大和尚(寛文10年没)を開山として迎えている。
惣門は、天保14年(1843)に再建されたもので、大工棟梁は野村作十郎である。野村作十郎は多治見市池田町の出身で東濃の名匠として知られており、多治見市指定文化財「廿原神明神社本殿」や市内の永保寺旧坐禅堂などの寺社建築を数多く手がけている。永泉寺の本堂も手がけており、こちらは晩年の作である。
現在の惣門は明治4年(1871)の資料と位置、規模が同じで、現在までその姿を伝えていることがわかる。昭和62年頃に屋根瓦の葺替えをしているが、天保14年以降、特に大規模な修理は行われていない。このため扉の板や屋根瓦、塀の板や潜戸の板は新しくなっているが、当初の部材がよく残っている。