南部七戸見町観音堂庶民信仰資料
なんぶしちのへみるまちかんのんどうしょみんしんこうしりょう
概要
我が国には、古くから絵馬・祈願札あるいは寄進札などを有名社寺や身近の社寺に奉納し、神仏の加護にすがって生業の繁昌や人生の無事息災などを全うしようとする習俗が全国的に見られる。
南部七戸見町観音堂は、応永3年(1396)当時の地頭であった南部政光により創建されたと伝えられ、後には奥州糠部郡(現青森県南部地方から岩手県北部にかけての地域)三十三か所巡礼の十三番札所ともなった。
本資料には、観音堂に奉納された絵馬、羽子板、読経札、称名念仏札、納経札などと、参詣や寄進に関係する巡礼札・棟札などが収集されており、なかには近世初頭の紀年銘をもつものも多い。
内訳は、絵馬の点数が最も多く、185点を収集している。図柄はほとんどが馬で、左向きに見返り風に描き、山形の板の左右両端に縦線を引いて柱に見立てた、いわゆる「藤右衛門の小絵馬」として知られる小絵馬が多い。奉納者の範囲は、現在の、七戸とその周辺の上北地方に及ぶ。奉納者の内訳としては所給人が多く、次いで農民、町人などの順になっており、各層にわたって奉納されたことが理解できる。
このほか羽子板(人形絵)、読経札、称名念仏札、順礼札、棟札などがある。