諏訪講の山車と人形(神功皇后・源頼義)
すわこうのだしとにんぎょう(じんぐうこうごう・みなもとのよりよし)
概要
諏訪講の山車と人形(神功皇后・源頼義)
すわこうのだしとにんぎょう(じんぐうこうごう・みなもとのよりよし)
千葉県
江戸時代後半
江戸型山車、木製、二重鉾、三つ車。二段上下可変式のカラクリを備える。人形のカラクリと枠のカラクリは別々で二系統。カラクリは、神田祭りで江戸城の門(高さ4,4m)を通過する際に、人形を上下させるために使用された。
幅2m70cm 長さ4m25cm 高さ7m20cm(カラクリ伸長時) 車輪の直径 1m13cm
山車1基 人形2体
千葉県鴨川市横渚812
鴨川市指定
指定年月日:20110526
昭和3年の昭和天皇の御大典記念に大修理、その後、昭和24年、47年、56年に修理を施したが、山車の本体及びカラクリ自体には江戸時代当時の構造が保持されている。製作年代は不明ながら、山車と人形が(神功皇后)当初からの組み合わせである点は貴重である。100年以上にわたって鴨川地区の祭礼で使用され続けている。
有形民俗文化財
諏訪講の山車と人形(神功皇后)は、もともとは神田鍋町が所有し、江戸時代の神田祭りに参加していた5番神功皇后山車一揃えを、明治43年(1910)に、横渚地区の関係者が東京で購入したものである。山車と人形は、霊岸島より東京湾汽船に船積みし,海路運ばれ、加茂川河岸に陸揚げし、個人の蔵で保管していた。祭礼の度に組み立てを行い、祭礼終了後は解体して収納していた。現在は、解体することなく、格納庫に保管している。大正時代中頃、神功皇后に人形とは別に、神田松田町が所有していた神田祭り36番山車の源頼義人形を購入した。