Chokoujiyakushidouoyobikuuden

長光寺薬師堂及び宮殿

Details

Chokoujiyakushidouoyobikuuden

長光寺薬師堂及び宮殿

建造物 / 江戸 / 中部

長野県

江戸中期/貞享元年(1684)

薬師堂
 薬師堂は、梁間三間(6.70m)、桁行三間(7.32m)、寄棟造、茅葺(鉄板仮葺)、妻入の仏堂で、一間の向拝(鉄板葺)をつける。方三間であるが、奥行きが少し長い。平面…

○薬師堂
・梁間三間、桁行三間、寄棟造妻入、茅葺形鉄板 葺、短い箱棟(後補)、向背一間桟瓦葺
・軸部の長さ・・・梁間6.70m  桁行7.32m
・縁の長さ・・・梁方向9.10m 桁方…

1棟及び1基

長野県安曇野市明科光691番4

長野県指定
指定年月日:20110929

長光寺

有形文化財(建造物)

 宮殿内の墨書から建築に関して次のような歴史が判明した。古い薬師堂が大破したので承応2年(1653)に薬師堂(2次薬師堂)を建立した。貞享元年(1684)に、薬師如来を修理してこれを安置する宮殿を曽根原安右衛門が作成した。元禄16年(1703)に大町村の金原作助らによって薬師堂(3次薬師堂=現薬師堂)が建立され、正徳3年(1713)に金原作助によって宮殿の組物が三手先に改められた。このうち、向拝の木鼻は目頭に当たる部分にも突起をつける独特の形で、これは、寛文12年(1672)建立の小野神社本殿(塩尻市)、元禄2年(1689)建立の八幡神社本殿(旧堀金村、旧穂高神社本殿)、宝永3(1706)の若一王子神社観音堂宮殿などにみられるので、元禄16年(1703)の造営で矛盾はない。
 また、薬師堂は正面向かって左側の側柱上の小屋束の一つの2面にあり、西面には「此堂建主法印白精午年」、北面には「大工大町 金原作助、平林小右衛門」とある。宮殿内の墨書にある住職白精が薬師堂竣工前年の元禄15年に記したこと、大工が宮殿内の墨書にある大町村金原作助・同村平林小右衛門と一致する。このことから、少なくとも小屋組の工事は元禄期に行われたことがわかる。
 また、組物についた木鼻のなかには宝永3(1706)の若一王子神社観音堂の木鼻と似たものが使われている。一方、組物と垂木の関係をみると、六枝掛になっておらず、小屋組と軸部が同時期かには若干の疑問がある。また、結界の位置にある太い円柱は、側柱と比べて風蝕に差がある。これらから、元禄16年(1703)の建立は、全くの新築ではなく、向拝新設や小屋組改築をともなう大規模改修であったと推定される。

建物の状態…

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