黒瀧神社本殿 附 棟札等
くろたきじんじゃ つけたり むなふだとう
概要
黒瀧神社本殿 附 棟札等
くろたきじんじゃ つけたり むなふだとう
三重県
江戸前期/1648~1648
本殿は三間社流造で、正面三軒繁垂木、背面二軒繁垂木。扉を正面一間に設け、身舎背面床下部中央間には床下への出入りの片引板戸を設ける。他は床下部分を含めて横羽目の板壁とする。身舎部分は土居を組み、円柱。外廻りは縁長押、内法長押、頭貫を廻らす。頭貫端は木鼻につくり、柱頂部には出三斗実肘木付、端部は連三斗実肘木付を載せる。身舎正面中央間のみ中備に本蟇股を用いる。妻は虹梁上に大瓶束。束頂部の三方に木鼻を出し、連三斗実肘木で棟木を支える。破風には拝みと母屋端に猪目懸魚を吊る。
身舎正面中央間のみに戸口を開き、戸口の下は二重の長押、三方に幣軸を廻す。扉は両開きの板唐戸とする。内部は内陣と外陣に間仕切り、外陣は格天井、床板敷。内陣外陣境は中央に両引板戸を入れ、両脇は横羽目板壁とする。内陣は格天井、床板敷で奥は一段高く壇を設ける。身舎正側面の三方に榑縁、刎高欄を廻らす。縁端に脇障子を設ける。
正面に向拝三間を設け、木階七級、浜床を設ける。向拝柱は切面取角柱として、水引虹梁を通し、虹梁端は丸彫りの象鼻とする。組物出三斗(両端連三斗)、手挟、中備は各間とも本蟇股とする。
身舎4,167×2,493
1棟 附 21枚
松阪市飯高町森129番地
松阪市指定
指定年月日:20201124
宗教法人黒瀧神社
有形文化財(建造物)
黒瀧神社には、天文21年(1552)以降の棟札類があるが、記された社名は、黒瀧天神(天文21)、黒瀧天満大自在天神(慶安元、他)、黒瀧天満大自在天神宮(元禄2、他)とあり、天文以降は黒瀧天神の社名が定着している。森村の氏神で、明治期には村社に列せられていた。明治41年に周辺及び境内の各社を合祀し、今日に至っている。
その由緒について、享保7年(1722)の上葺再興の際に、本殿内の棟札をもとに作成した「黒瀧天神年代記」と記す木札には、「抑当社者自昔山城国北野之天満大自在天神宮奉遷此處古人之申伝ニ日本六拾六天神宮之内ニテ山城国吉田之宮之雖有神帳ニ自往古之宮ニ而今般ニ無知人之矣 以因縁当社之神主中興六七十年以来京𠮷田ニテ雖料神蔵当社明神之役儀勤受ニ享保七壬寅当社明神上葺再興氏子共納殿之棟札改御鎮座以来ニ雖口伝無知人之ヲ 仍古来之棟札ニ有来ル年号ノ目録ヲ記ス 年記享保七壬寅ヨリ正元己未迠四百六十八年也 今大宮慶安戌子建立ニ而今享保七壬寅迠七十六年也 見来棟札之事正元己未歳文正丙戌大永五乙酉天文廿一壬子慶安戌子元禄二己巳享保七壬寅 寛延四辛未」とある。末尾の「寛延四辛未」は享保7年に作成された年代記にその後追記されたものと考えられる。これによれば、当時現存の最古の棟札は正元元年(1259)であり、以下文正元年(1466)、大永5年(1525)、天文21年(1552)、慶安元年(1648)、元禄2年(1689)、享保7年(1722)となるが、現在、正元元年、文正元年、大永5年の棟札は確認できない。また、「今大宮慶安戌子建立ニ而今享保七壬寅迠七十六年也」とあって、享保7年当時、本殿の建立は慶安元戌子年(1648)と考えられていた。現存棟札等に記された造営主体は、森村の村役人層であり、黒瀧神社は森村の紐帯となる神社として維持管理されてきた。