舞妓林泉

日本画 

土田麦僊 (1887-1936)
ツチダ、バクセン
大正13年/1924
彩色・絹本・額・1面
217.7×102.0
4回国画創作協会展 竹之台陳列館 1924

12
舞妓林泉(ぶぎりんせん)
""Maiko""in a Garden
1924年
絹本彩色・額 217.7×102.0cm
国画創作協会第4回展に出品された土田麦僊37歳の時の作品である。京都南禅寺の天授庵の庭を背景に舞妓を描いているが、風景も人物も、画家の求める厳格な構成秩序のうちに平面的に様式化されている。すでに麦僊は1918年国画創作協会第1回展に出品した《湯女(ゆな)》で、桃山障屏画や初斯浮世絵などを手がかりとして、ゴーギャンやルノワールなど後斯印象派への共感を示していたが、21ー23年のヨーロッパ遊学は、イタリア初期ルネッサンス絵画や近代絵画を中心に研究する機会をもたらした。帰国後の《舞妓林泉》などの作品に画面の知的な構成秩序への関心が強まったことは、遊学の重要な成果といえる。麦僊自身はこの絵などの制作意図について「只純絵画的の眼の仕事」だと語り、さらに「若し私の遥に求めてゐる憧憬や、緊密なる構成、自然の持つ最も美しい線、色、或は日本民族に流れてゐる優美等が幾分でも表現されて居れば満足なのです」(「舞妓林泉図其他に就いて」『アトリヱ』1925年1月号)と述べている。「純絵画的の眼の仕事」といいきったところに、麦僊の近代画家としての自覚が示されている。

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  • 1924年
    絹本彩色・額 217.7×102.0cm
    国画創作協会第4回展に出品された土田麦僊37歳の時の作品である。京都南禅寺の天授庵の庭を背景に舞妓を描いているが、風景も人物も、画家の求める厳格な構成秩序のうちに平面的に様式化されている。すでに麦僊は1918年国画創作協会第1回展に出品した《湯女(ゆな)》で、桃山障屏画や初斯浮世絵などを手がかりとして、ゴーギャンやルノワールなど後斯印象派への共感を示していたが、21ー23年のヨーロッパ遊学は、イタリア初期ルネッサンス絵画や近代絵画を中心に研究する機会をもたらした。帰国後の《舞妓林泉》などの作品に画面の知的な構成秩序への関心が強まったことは、遊学の重要な成果といえる。麦僊自身はこの絵などの制作意図について「只純絵画的の眼の仕事」だと語り、さらに「若し私の遥に求めてゐる憧憬や、緊密なる構成、自然の持つ最も美しい線、色、或は日本民族に流れてゐる優美等が幾分でも表現されて居れば満足なのです」(「舞妓林泉図其他に就いて」『アトリヱ』1925年1月号)と述べている。「純絵画的の眼の仕事」といいきったところに、麦僊の近代画家としての自覚が示されている。
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