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恒川官衙遺跡

ごんがかんがいせき

概要

恒川官衙遺跡

ごんがかんがいせき

その他 / 奈良 / 平安 / 中部 / 長野県

長野県

奈良・平安

長野県飯田市

指定年月日:20140318
管理団体名:飯田市(平26・10・17)

史跡名勝天然記念物

 長野県南部の伊那谷の南に位置する,標高420~438mの比較的平坦な低位段丘上に所在する。この遺跡の発掘調査は,昭和52年から始められ,奈良・平安時代の官衙的性格を有する遺跡として注目された。飯田市教育委員会では,この遺跡の重要性に鑑み,昭和58年から74次にわたり,遺跡の範囲と内容を確認するための発掘調査等を実施してきた。
 その結果,正倉,正倉区画溝,郡衙の北限とみられる溝,祭祀跡などの諸遺構を検出した。正倉区画溝は,北東側は未確認であるが,長辺215m,短辺150mで,北側にある高岡第1号古墳を避けて台形を呈し,内側の遺構はⅠ期が7世紀後半,Ⅱ期が8世紀前半,Ⅲ期が8世紀後半から9世紀代,Ⅳ期が9世紀末から10世紀前半の4期にわたって変遷をしていた。一方,正倉域から南西250mのところに,「恒川(ごんがわ)清水(しみず)」と呼ばれている地点がある。周辺からは,祭祀遺物の出土が確認され,律令的な祭祀がおこなわれたとみなされている。ちなみに当地は現在においても,地域住民によってお祭りがおこなわれている。
 出土遺物としては,多数の土器,和同開珎(わどうかいちん)銀(ぎん)銭(せん),緑釉(りょくゆう)陶器(とうき),中でも陶(とう)硯(けん)の存在が注目され,祭祀跡からは,人形(ひとがた),馬形(うまがた),斎(い)串(ぐし)などが出土している。
 恒川官衙遺跡は,確認された遺構や遺物のあり方,文献史料等から,伊那郡衙(いなぐんが)(郡家(ぐうけ))の可能性が高い重要な遺跡である。

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キーワード

官衙 / 遺跡 / / 掘立柱

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