大隅正八幡宮境内及び社家跡 おおすみしょうはちまんぐうけいだいおよびしゃけあと

社寺跡又は旧境内 / 奈良  平安  鎌倉  南北朝  室町  安土・桃山  江戸 / 九州 

鹿児島県
古代,中世
鹿児島県霧島市
指定年月日:20131017
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

 大隅正八幡宮は、鹿児島県の中央部、錦江湾に流れ込む天降川を望む丘陵上に立地する。正八幡宮の東方約1.5キロメートルの天降川右岸には、中世の川湊が存在したことが知られ、その対岸には府中の地名が残り、大隅国府が所在したと推定されている。
 社伝によると和銅元年(708)の建立で、『延喜式』には、鹿児嶋神社の名で薩摩、大隅、日向の中で唯一の大社として記載されている。平安時代に、宇佐八幡宮が九州各地に別宮を作った頃に、八幡神が勧請され、それによって、「八幡正宮」と呼称されるようになったと考えられている。同時に、宇佐八幡宮の弥勒寺に倣って、弥勒院が現在の社殿から東約300メートルの地点に建立された。また、院政期には、諸国の神祇が一宮、惣社を中心として整えられたが、大隅国では正八幡宮が一宮として保護された。
 鎌倉時代には、源頼朝の庇護等により、勢力を拡大する。建久8年(1197)の『建久図田帳』によると、大隅国の約3000町の田のうち、正八幡宮領は約1296町に及んでいる。その後、元軍調伏の祈祷を行ったことや、『八幡愚童訓』に見える八幡神の起源は大隅正八幡宮であると主張することなどを通じて、多くの所領の寄進を受け、それを基に、正八幡宮の前面に社家や御家人の居館、寺院などからなる「宮内」と呼ばれる町が形成され、整備された。宮内には、別当寺も含め多くの神官・神人・僧侶が居住し、「四社家」「十家」又は「一家」「衆徒十五坊」「殿守十二家」「四十七家」「隼人十八家」など百十家が知られている。中でも世襲の桑幡・留守・沢・最勝寺の四社家は、それらを統括する立場にあった。
 これらに関係す…

作品所在地の地図

関連リンク

大隅正八幡宮境内及び社家跡チェックした作品をもとに関連する作品を探す

宇佐神宮境内
豊前国宇佐宮絵図
細男舞・神相撲
高鴨神社 社叢
長門国正吉郷入江塩浜絵図
ページトップへ