北青木遺跡出土銅鐸
きたおおぎいせきしゅつどどうたく
概要
北青木遺跡は神戸市東灘区北青木1丁目から深江北町5丁目に広がる弥生時代前期から後期にかけての遺跡で、海岸線に並行に並ぶ砂丘上と堤間湿地に立地する。北青木銅鐸は平成18年に東灘区北青木1丁目で実施した第5次発掘調査時に、弥生時代の砂丘上で発見された銅鐸である。発見直後、埋納土坑全体を切り取って神戸市埋蔵文化財センター内に運び込み、慎重に発掘調査を行って、その埋納状況を詳細に調査した。
当銅鐸は長径35㎝、短径28㎝、深さ15㎝の不整楕円形の土坑に、通有な銅鐸の埋納方法である鰭を垂直に立てた状態で埋納されていた。さらに、最終的に銅鐸を埋納した土坑を包括する、長径115㎝以上、短径72㎝、深さ36㎝以上の土坑を確認し、銅鐸の身が埋納された位置から約35㎝下の土坑最深部から、同一個体とみなされる鈕の小片が出土した。このことから、同じ場所での少なくとも2回以上の埋納行為を想定することができた。しかし、この2回の埋納行為の時間差は不明である。
当銅鐸は扁平鈕式新段階にあたる。鈕の上端部を欠損するが、復元高は約21㎝と考えられる。また、上記のとおり、接点はないが同一個体と考えられる鈕の破片が1点存在する。身は扁平で、左右には一対の飾耳を持つ。文様は四区袈裟襷文で左右の縦帯文は縦線のみで、斜格子が省略されている。これらの文様はいずれも不鮮明で、表面には亀甲形の皺が多数認められる。また、鋳造欠陥による欠孔も補修されていない。これらの特徴は亀山型と分類されている銅鐸の諸特徴をよく備えている。
当銅鐸は埋納状況を確認することができた数少ない銅鐸の一つであり、砂丘上での埋納というその出土地点の立地は、今後の銅鐸祭祀を検討する上で貴重な事例の一つである。また、材質調査から中国華北産の材料で作られていると推定され、銅鐸を含む青銅器生産手法や体制を考える上でも欠くことのできない資料である。以上のように同一地域の平地から出土した本山銅鐸と合わせて、弥生時代の銅鐸祭祀を考える上で貴重な資料である。