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気楽流柔術

きらくりゅうじゅうじゅつ

概要

気楽流柔術

きらくりゅうじゅうじゅつ

無形民俗文化財 / 関東 / 群馬県

群馬県

群馬県伊勢崎市東小保方町3048番地9

伊勢崎市指定
指定年月日:20150226

無形民俗文化財

気楽流柔術は、加賀藩主前田利家の家臣であった戸田越後守信正を流祖とする剣術、槍術、柔術を伝える総合武術である。江戸時代中期には現在の群馬県内に伝えられたとされ、1800年代には、第12代宗家の児島善兵衛が伊勢崎地方で継承し、第13代五十嵐金弥は茂呂の在住、第14代斎藤武八郎は伊与久の在住というように伊勢崎地域での伝承が行われるようになる。特に斎藤武八郎は伊勢崎藩の柔術指南役となるなどする中で、伊勢崎市周辺地域で数千人の門弟を抱えていたという。その後、第15代を現在の境下渕名在住の長沼綱吉が継承、続く第16代新井平馬、17代新井数馬、18代新井道次郎も境下渕名で継承し、旧境町では、昭和35年に町指定重要無形文化財に指定した。その後、旧境町の区域内に保持者がいなくなったため、平成16年に指定解除となっている。現在伊勢崎地域では、保存団体の代表である水科壽美が第18代宗家から免許皆伝、允可を受け、昭和55年に第19代宗家として活動を行い現在に至っている。技の種類は、かつて360手といわれたが、現在伝承されているのは、180手である。この内訳は、柔術80手、棒術30手、鉄扇之術10手、十手之術10手、太刀之術15手、薙刀之術15手、契木之術10手、鎖鎌之術10手となっている。保存団体では、気楽流道場練志館での稽古を行うなかで、稽古始めである鏡開きや、境下渕名の大国神社秋季例祭での奉納を行っている。また、無形民俗文化財の保存団体として、郷土芸能大会などでの公開を行っている。このように気楽流柔術は、江戸時代後期から伊勢崎市やその周辺で、地域の人々の生活文化の一つとして発展継承してきたものである。

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キーワード

屋台囃子 / 茂呂 / 伊勢崎 /

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