赤坂の薬師ザクラ
あかさかのやくしざくら
概要
赤坂の薬師ザクラ
あかさかのやくしざくら
山形県
エドヒガン 一幹(樹高6.70m、目どおり2.69m、根まわり7.20m)
白鷹町に残るエドヒガンの古木の一本。白鷹町役場より北西方向に約2km。最上川の西岸、赤坂薬師堂のある高台の傍にある。薬師堂と桜樹の間を旧栃窪街道の細道が通っている。以前はこの樹の下を通っていたという伝えがあり、急な坂道だったので、薬師堂と地続きだった土地を掘り割って道を作った。そのため、樹が立っているところは丘陵から遮断された高台となっており、樹の姿と併せて特徴的な印象を加えている。
ごつごつした樹肌で、多くのこぶがある。樹高1.2mのところで南方向に曲がり、二つに枝分かれし、一方は枝折れし、枝分かれ後に直立する方は、さらに樹高約3mの位置で、枝分かれしている。現在花を付けるのは2回目に枝分かれした1本の枝で、この枝は支柱で支えられている。樹勢は旺盛である。
当地では昔から種まき桜として親しまれ、昔、最上川の洪水のとき、船をつないだという伝説があることから、別名「舟つなぎの桜」、又、「御薬師様の桜」とも呼ばれている。
また、この地は非常に眺めの良い所で、宝暦年間(18世紀中頃)に著された『鮎貝古物語』の中に、「薬師堂は栃窪町道赤坂の上に大木の桜あり。春は早く花咲きひとしお見事なり。薬師堂は当所第一の景所たり。東は松川の流れ、渡し船の行く帰り、春はとりわけ、荒砥の御役屋廻りの桜、浅立の山々の桜眼前に見える」との記述があり、樹勢がさかんな頃の薬師ザクラを想像できる。これは江戸時代における「最上川さくら回廊」の光景であり、当時の人々の桜を愛で豊かな心情が余すことなく伝わってくる。
残念ながら桜の幹が損傷しているのは、昭和初期の工場火災で桜も半焼したためである。
山形県西置賜郡白鷹町大字箕和田字赤坂一1071番
山形県指定
指定年月日:20131129
記念物