絵葉書(高岡小唄一,二)
えはがき(たかおかこうたいち、に)
概要
高岡小唄(※1)の歌詞が刷られ、高岡の名所と越中美人の写真が入った絵葉書2葉である。
どちらも表面は上部に右読みで「郵便はがき」、左側に「POSTCAP(ママ)D」と印刷され、通信文記載欄が全体の1/2となっている。この形式から、絵葉書の作成年代が昭和8~19年ということが判る(※2)が、レコードは昭和10年12月の発売であるので、これ以降のものである。また、右下の角には打ち出の小槌と思しき図が入っている。
1は裏面上部に右読みで「櫻のトンネル櫻馬場(高岡)」と題した写真があり、満開の桜やぼんぼりが並ぶ桜馬場通り(※3)を大勢の人が行き来する様子が写っている。右下に「高岡小唄 一」の歌詞が刷られ、その左の楕円形の枠内には「越中美人」の女性の写真がある。
2は裏面上部に右読みで「雪の射水神社(高岡)」と題した、雪が積もっている射水神社を神明型の鳥居(※4)の外から撮影した写真がある。右下に「高岡小唄 二」の歌詞が刷られ、その左の長方形の枠内に「越中美人」の女性の写真がある。
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【注】
※1 「高岡小唄」は昭和10年(1935)12月にポリドールレコードから発売、作詞:名部島春(なべ しまはる)、作曲:野村豊繁、歌:浅草〆香。県内で5,000枚も売れたという(「「高岡小唄」半世紀ぶり復活/岐阜にレコード残る」平成3年8月7日付「北日本新聞」)。また、富山県映像センターHP「とやまデジタル映像ライブラリー」に「[022]030810 高岡小唄」(高岡山町筋土蔵造りフェスタ)がアップされている。
なお、高岡小唄はYou Tubeにもアップされている(「ARAMAKI5」氏による「高岡小唄 浅草〆香 2作版」)。また「越中新聞」(1935年7月7日付)に、本資料にはない3番目の歌詞が次のように掲載されている。「床し七夕色飾り 星の夜空の行灯火 流す囃子に笹鳴れば 千保灯の帯 鹿の子染め アレアッチャ、ヨイネ鹿の子染め」。因みに作詞家の「名部島春」は本名・鍋島弘蔵(1903~没年不明)。別名・豊朔。高岡市生まれ。新聞記者。北陸タイムス、越中新聞を経て1946年富山新聞に入り、1951年同紙の代表取締役となる。また俳句・短歌もよくし春陽子と号した。当館が所蔵する1935年の市民映画『輝く孝道』の「原作脚色・監督」を務めた。
※2…HP「絵葉書の歴史/絵葉書資料館」
※3…『角川日本地名大辞典 16 富山県』(角川書店,1987)
※4…この鳥居は年代により三種に変化している。本史料の神明型は『週刊日本の神社 №88 射水神社』(デアゴスティーニ,2015/8/25)P17 によると、「昭和初期(1930年頃)」、「神明型の鳥居の奥には、昭和4年(1929)の大嘗祭ご下賜鳥居が見える。」とあり、本史料の写真にもご下賜鳥居と思われるものがみられる。