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高岡絵葉書(公園・瑞龍寺・墓所)

たかおかえはがき(こうえん・ずいりゅうじ・ぼしょ)

概要

高岡絵葉書(公園・瑞龍寺・墓所)

たかおかえはがき(こうえん・ずいりゅうじ・ぼしょ)

その他 / 富山県

富山県高岡市

紙・コロタイプ印刷(モノクロ)

6葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-237

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

高岡名所の写真絵葉書である。古城公園(当時は高岡公園)が4葉、瑞龍寺と前田利長墓所が各1葉の計6葉であるが、セットではない。ただ【2】~【6】はミシン目があり、元絵葉書帳であったと思われ、また宛名面(表面)や表題の様式などからセットの可能性が高い。【4】を除く5葉の宛名面上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)、【1】【4】以外にはその下に「Union Postale Universelle.」(仏語:万国郵便連合)とある。下部の三分の一辺りに線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40年~大正7年)の型式をもつ。また共に写真の印刷は精密なコロタイプ印刷である(※1)。【1】以外は未使用。


1:高岡公園(其三)
年代:大正2年(1913)製作,大正3年(1914)10月18日使用
発行:学海堂(高岡市)
寸法:縦9.0cm×横14.2cm

他と違いミシン目がなく、独立しているが、タイトルからシリーズものとわかる。宛名面には1銭5厘の切手(大正2年以降発行の田沢切手/※2)が貼られ、消印(「福井/3.10.18/前8-10」)が捺されている、本資料唯一の使用済(エンタイア)。これらのことからこの絵葉書の製作と使用年代が推察される。
写真面の下には右読みで「高岡公園(其三) THE TAKAOKA PARK. (高岡学海堂発行)」と青字で刷られる。学海堂は当時、守山町にあった書店・出版社(※3)。右側に紫色のスタンプ「富山県教育会主催教育大会記念・大正二年九月」が捺されている。
公園内のどこを写したのかは断定できないが、堀の対岸右側に四阿があり、その奥に小竹藪らしき高台が見えるので、朝陽橋の南詰西側から中の島を写したものと思われる。四阿の左には数人の人や自転車がみえる。


2:越中 高岡公園(其一)
年代:明治40~大正7年(1907~18)頃
寸法:縦9.1cm×横14.3cm

写真面下には右読みで「越中 高岡公園(其一) Takaoka park at Etsuchu.」と青字で刷られている。撮影場所は不明。広い道の左右には土盛りがある。左側は造園の手が入れられた雰囲気があり、右側は土留めの石が奇麗に並べられている。奥は巨木が並ぶ。中央やや左側に建物がみえる。本丸もしくは小竹藪であろうか。


3:越中 高岡公園(其三)
年代:明治40~大正7年(1907~18)頃
寸法:縦9.1cm×横14.4cm

写真面下には右読みで「越中 高岡公園(其一) Takaoka park at Etsuchu.」と青字で刷られている。越中 高岡公園(其三) Takaoka park at Etsuchu.」と青字で刷られている。このタイトルから、【2】と同じセットかと思われる。撮影箇所は本丸北側かと思われる。左の四阿は、当館収蔵の1-05-213 絵葉書「高岡古城公園」のうち、【1】「高岡公園」は明治42年の皇太子行啓の際の御野立所を写したものと思われるが、その右にある四阿が本絵葉書の四阿と酷似している。右奥にかけて低くなり、広場らしき奥行があるので、手前が四阿の西面かと思われる。


4:越中高岡 国幣中社射水神社
年代:明治44年~昭和初期(1911~30年頃)
寸法:縦9.1cm×横14.3cm

写真面下のタイトルは「越中高岡 国幣中社射水神社 Shrine Imidzu Takaoka at Etsuchu.」と青字で刷られている。宛名面が剥がれてしまっているが、絵葉書帳から破られたミシン目やタイトルから【2】~【5】と同じセットかと思われる。同社が近代社格制度上の「国幣中社」に列せられたのは明治4年(1871)6月(当時はまだ二上山麓)で、越中国で唯一であった(※4)。写真正面の「両部鳥居」(※5)左の標柱には「国幣中社射水神社」とある。この標柱は現存しており、その向かって右側面には「明治四拾四年九月 敬神講」とある。そして、昭和初期(1930年頃)の写真には「神明鳥居」がある(※6)ので、この写真の年代は明治44年6月~昭和初期(1930年頃)と推察される。


5:越中高岡名所 瑞龍寺
年代:明治40~大正7年(1907~18)頃
寸法:縦9.1cm×横14.3cm


写真面下のタイトルは右読みで「越中高岡名所 瑞龍寺 Temple Zuiriuji Takaoka at Etsuchu.」と青字で刷られる。正面には仏殿がみられ、その奥には法堂、右には鐘楼と大茶堂が回廊で取り囲まれている。


6:越中 高岡 前田公ノ御廟
年代:明治40~大正7年(1907~18)頃
寸法:縦9.1cm×横14.4cm

写真面下のタイトルは右読みで「越中 高岡 前田公ノ御廟 A Tomb T.Maeda Takaoka at Etsuchu.」と青字で刷られる。当館収蔵資料1-05-124 絵葉書「北陸線 高岡名勝」内のものと全く同じである。しかし、これ以外の絵葉書は本資料とは異なるものであり、同じ写真を他の絵葉書セットに使い回されていたことが察せられる。


<参考>
※1 「絵葉書の年代推定」(HP「探検コム」/平成28年12月28日アクセス)
※2 「田沢切手」(HP「栗の樹研究室 栗田耕二」/平成28年12月28日アクセス)
※3 創業年は不明。明治6年5月の「守山町分積支分図」(『高岡の町々と屋号』創刊号,高岡市立中央図書館,1993年,p21)に経営者の磯野氏の名は無い。明治20年(1887)に学海堂は『学海新誌』や『ことたま栞』(五十嵐政雄著)を発行しているので、これ以前の創業とわかる。『高岡市商工人名録』(高岡市役所,昭和2年,p52)には「書籍 楽器 新聞 運動具 販売業/(営業収益税額)九三・六四/守山町五〇/(振替口座番号)金沢三五六五/(電話番号)三一/磯野小兵衛」とある。現在は高岡市中川1丁目2-12に所在。移転年代も不明だが、昭和36年の住宅地図では中川にある。
※4 『高岡市史』下巻,高岡市,p53-54。ちなみに同社が現在地に遷座してきたのは明治8年。
※5 「両部鳥居」…本柱の前後に短い控え柱を立て,貫(ぬき)で本柱とつないだ鳥居。神仏混淆(こんこう)の神社に多くみられる。宮島の厳島神社が代表例。四つ脚鳥居。権現鳥居。枠指(わくざし)鳥居。稚児鳥居。(HP「大辞林」三省堂/平成29年1月4日アクセス)
※6 「神明鳥居」…〔神明造りの神社に多く用いられるので〕。鳥居の一種。柱・笠木(かさぎ)・貫(ぬき)から成り,笠木に反りがなく,柱は垂直,貫の両端は柱の外には出ない。靖国神社の鳥居がその例。(HP「大辞林」同上)
※7 『週刊 日本の神社80 射水神社』デアゴスティーニ・ジャパン,2015年,p17

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