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絵葉書「(越中名勝)越中高岡古城公園」

えはがき「(えっちゅうめいしょう)えっちゅうたかおかこじょうこうえん」

概要

絵葉書「(越中名勝)越中高岡古城公園」

えはがき「(えっちゅうめいしょう)えっちゅうたかおかこじょうこうえん」

その他 / 富山県

富山県高岡市

明治42~大正6年頃/1909~17年頃

紙・コロタイプ印刷(モノクロ)

縦14.0cm×横9.1cm

1葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-231

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

高岡古城公園の絵葉書1葉である(未使用)。非常に鮮明な写りのコロタイプ印刷である。
本丸東隅より北方を写したよくみられるアングルで、手前に朝陽橋、奥に中の島が写っており、更に奥に二上山が薄く見えている。朝陽橋の上に中の島を眺める男性2人と三の丸・明丸方面を眺める男性1人がいる。ここには近世に「貫土橋」があったといい、その「橋台石垣」がわずかに見えている(註)。中の島の現在の「緑翠亭」の場所には東屋が見える。朝陽橋が改築された状態であり、明治42年(1909)以降と考えられる。
下部には右読みで「(越中名勝) 越中高岡古城公園」とある。宛名(通信)面には、上部に右読みで「郵便はかき」とあり、左側には「UNION POSTALE UNIVERSELLE.」、「CARTE POSTALE」とあり、通信文欄は3分の1である(明治40年~大正6年の絵葉書の特徴)。
既に当館収蔵の絵葉書(1-05-151)とはアングルが類似しているが、橋脚が2本(筋交有り)なのに対し、本資料では1本(筋交無し)であることなど、若干の差異がある。
また、明治8年の公園指定時には「高岡公園」であったが、いつしか「高岡古城公園」となった。その時期は不明であるが、本資料のキャプションにより、明治後期には「古城」と言われていたことが分かる。

※(註)・・・朝陽橋(貫土橋)橋台石垣については、古川知明氏が古写真から詳細に分析している(古川知明『富山城の縄張と城下町の構造』桂書房,2014。329~333頁)。

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