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黒韋威胴丸〈兜、大袖付/〉

くろかわおどしどうまる かぶと、おおそでつき

概要

黒韋威胴丸〈兜、大袖付/〉

くろかわおどしどうまる かぶと、おおそでつき

工芸品 / 南北朝 / 室町 / 近畿

室町

 胴は、鉄と韋の板を一枚交ぜとした黒漆盛り上げの小札で、濃い藍染めの黒韋で毛引きに威す。耳糸は白・薄紫・紫・萌葱・紺の五色の亀甲打で、畦目は同配色の小石打とする。菱縫は紅糸で綴じる。立挙は前二段、後ろ三段とし、衝胴は四段とする。草摺は八間五段下がりである。胸板、押付板、脇板には獅子牡丹文の染韋を張り、紅五星韋で小縁を取り、紺・紫・白の三色の伏縫を施す。肩上は、獅子牡丹文染韋で包み、紅五星韋を廻らし、上面中央に伏縫を施す。金具廻りには、銅製鍍金の覆輪を廻らし、要所に菊枝唐草文を透かした八双金具を打ち、菊座飾鋲で留める。このほか各要所には、銅製鍍金の笠鋲を打つ。後ろの立挙の中央に鍍金透かし彫りの菊座に切子頭の鐶台を打って、紅糸角八打組の総角を付す。胸前の肩上先には、染韋包みに菊枝文金具を据えた杏葉を垂れる。杏葉の裏は、鶉韋を張る。また、肩上と胴を固定する高紐、右脇の引き合わせの緒、胴締め緒などは、いずれも五色の亀甲打で、かなり損傷しているものの当初のものが残る。
 兜は、鉄地黒漆塗の四十二間総覆輪の筋鉢で、前頭部をわずかに低く作り出したやや縦長の半球状の鉢形である。各筋を黒漆で塗り込めて、銅製鍍金の覆輪を懸け、前に三条、後ろに二条の篠垂を伏せる。各筋間の腰には、猪目透かしの斎垣を廻らす。鉢の頂辺には、円座・菊座・小刻座・玉縁を重ねて八幡座とする。眉庇には魚々子地菊唐草文の祓立付き鍬形台を三光鋲にて据え、丈が低く幅広の鍬形を挿す。曉は四段の黒韋威しで、うち三段を吹き返しとする。吹き返しは、揚羽蝶を交えた獅子牡丹文染韋で包み、左右両端には菊枝透かしの据文金具を打つ。鉢の後頭部中央に笠印付の鐶を設け、紅糸角八打組の総角を下げる。鉢裏は、菅編の闈筵と鶉韋の二重の受張とし、眉庇裏にも鶉韋を張る。鉢の腰巻き三方に鉄製の鐶を打って浅葱綾の絎紐を結び、兜の緒とする。
 大袖は、七段下がりで、黒韋で威し、四段目の後ろ寄りに菊枝文を透かし彫りにした銅製鍍金の笄金物を打ち、水呑緒鐶を付す。袖の冠板は、胴の胸板と同様、獅子牡丹文染韋で張って紅五星韋で縁を取り、三色の伏縫を施す。化粧板は、藍染の菖蒲韋で包む。袖の前後に総角と同じ紅糸角八打組緒を垂下する。

兜鉢高12.5 胴高31.0 大袖高 41.3 (cm)

1領

重文指定年月日:19270425
国宝指定年月日:20160817
登録年月日:

宗教法人 春日大社

国宝・重要文化財(美術品)

 黒漆盛り上げの本小札を黒韋で威した胴丸で、当初からの一具とみられる兜と大袖をともなう貴重な遺例である。
 中世における甲冑は、大鎧、胴丸、腹巻の三種類に大別される。これらのうち、騎乗の武将・大将格が着用する大鎧は、兜・大袖とともに大形かつ重厚で、騎射戦における堅牢性を重視したもので、防御性が高い構造になっている。これに対し、胴丸および腹巻は、徒歩での機動性と軽快な動きを求めて、体に密着して、着装も簡便な構造となっている。そのなかでも、より軽便な腹巻に比して、胴丸はやや重厚な造りで、より防御性を具えたものといえる。本来、兜・大袖は、大鎧に附属するものであったが、鎌倉時代末から南北朝時代頃にかけて、胴丸とも組み合わせて用いられるようになり、最初から一具として製作され始めたと考えられている。
 本件は、威糸や金具、染韋、組紐など、総体の造り、構成の統一性からみて、胴・兜・大袖のいずれも当初から一具として製作されたものと見てよい。類例としては、国宝・黒韋威矢筈札胴丸[奈良県・春日大社蔵]、重要文化財・樫鳥絲威肩赤胴丸[東京都・独立行政法人国立文化財機構蔵(東京国立博物館保管)]、重要文化財・紺糸威肩白赤胴丸[長崎県・松浦史料博物館蔵]などが知られる。これらのうち、黒韋威矢筈札胴丸は、兜・大袖付きの胴丸として、南北朝時代に遡る最初期の遺例である。一方、樫鳥絲威肩赤胴丸、紺糸威肩白赤胴丸などは、兜の形状や金具の造作、染韋や組紐の技法などからやや時代が下がるものとして、室町時代の製作と見られる。本件においても、曉の下がりが水平気味となってやや笠曉風にみえること、吹き返しの獅子牡丹文染韋に揚羽蝶の文様が交じること、草摺りの最下段の両端に強い撓みを持たせることなど、やや時代が下がる特徴を示している。その一方で、兜鉢の形状はやや前頭が低く前後で段差が生じているものの、全体としては丸みを帯びた形状であること、肩上の染韋包みを上面で綴じ合わせて、中央に伏縫を施すこと、色数の少ない三色の伏縫糸を用いていること、紅五星韋を縁取とすることなどは、南北朝時代の遺風を留めたもので、過渡的な要素を残している。
 現存する中世を遡る甲冑類の遺品は、神社や寺に奉納されたことによって残されたものが多い。戦勝祈願などのために当初から奉納用として製作された大鎧などは、絢爛豪華な飾り金具が施されたものもみられるが、実際に着用されたもの、あるいはそれに準じた鎧を中心に奉納されたと思われるものも少なくない。これら奉納品のうち、特に実戦用のものは、損耗の激しい部位、材質的に脆弱な韋所や緒所など、傷みやすい部材は後世に取り替えられたり、当初は一具であった兜や袖などが失われて、他のものと入れ替わったりしていることが多い。
 本胴丸は、先年修理を行うまでほとんど本格的な補修は行われていなかったものと思われる。他例にみるように、損傷が激しく残存例の少ない韋所、緒所なども、経年による欠失や損傷はあるものの、恐らく当初のものと思われる部材がそのまま伝存していることが、修理工程の中で改めて確認された。
 このように、本件は、中世に遡る胴丸の典型として、兜、大袖等を完備して、実用具としての胴丸の製作当初の姿がほぼ完存する数少ない例として重要である。また、韋の威毛や組緒など、消耗、損傷しやすい部位で当初のものが残存するものは極めて少なく、特に貴重である。加えて、伝来も確かであるため、国宝への格上げを検討するものである

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