魯西亜人初テ来朝登城之図
ろしあじんはじめてらいちょうとじょうのず
概要
本図巻は、嘉永6年(1853)に長崎に来航したロシア海軍中将プチャーチン一行の応接と交渉の様子を描いたものです。同年8月19日の国書手交から、12月14日以降の日本側全権筒井政憲・川路聖謨らとの会食や会談の様子を描きます。描かれる内容が、プチャーチンの長崎来航時の応接の様子を描いた早稲田大学図書館所蔵「魯西亜使節応接之図」にほぼ一致します。またプチャーチンは安政2年3月に日本を離れていることから、内題にある「安政二乙卯年四月江戸御城江登城之節御老中若年寄御目付役立合応接之図」との記載は誤りです。
※なお各人物の配置や名前・役職等については、早稲田大学図書館所蔵「魯西亜使節応接之図」 29.6×687.0cm(外寸29.6×727.2cm)請求記号:リ0509322を参照しました。
第一 魯西亜人道中備大波戸より西御役所江罷出候図
嘉永6年(1953)8月19日に、大波戸から長崎奉行所西御役所に向かうロシア隊の行列の様子。鼓笛隊、銃隊、海軍旗に続いてプチャーチン一行が現れます。海軍旗や兵士らが被る帽子には双頭の鷲のエンブレムがあしらわれています。この日、長崎奉行大澤定宅はプチャーチンと会見し、国書を受け取っています。
第二 於書院魯西亜人初度対話之図
同年12月14日、長崎奉行所西御役所書院において、日本側全権として派遣された大目付筒井政憲・勘定奉行川路聖謨らと、プチャーチン一行が初めて対面した様子。同様の図が描かれる早稲田大学図書館所蔵「魯西亜使節応接之図」と比較すると、画面中央奥に立つ2 人は恐らく長崎奉行の水野忠徳と大澤定宅で、その前に座る人物は恐らくオランダ語通詞の森山栄之助、ロシア側と対面する4人が奥から筒井・川路・目付荒尾成允・儒者古賀謹一郎、手前の後ろ向きの人物が左から御勘定組頭中村為弥、勘定評定所留役菊池大助、徒目付衆となります。
第三 於書院御料理被下之図
同日、ロシア使節との会食の様子。筒井・川路のみが会食をともにしています。
第四 於書院御料理被下候後応接之図
同日、会食後に行われた応接の様子。奥に長崎奉行水野・大澤が座し、ロシア使節に対面する形で筒井・川路・荒尾・古賀の順に着座します。
第五 於書院拝領物被下候図
同月18日、ロシア側へ贈呈品として、真綿と紅白の綸子(りんず)と呼ばれる滑らかで光沢のある絹織物が贈られました。
【開国・開港】