摂州矢部郡車村妙法寺村石炭礦之図 せっしゅうやたべぐんくるまむらみょうほうじむらせきたんこうのず

絵図・地図 / 江戸 

幕府勘定系役所による作成か(海軍関係之部第七号)
江戸時代、慶応2年/1866年
紙本著色
65.9×80.5
1幅


来歴:1992神戸市立博物館

参考文献:
・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録、2019
・神戸市立博物館『神戸開港150年記念特別展 開国への潮流―開港前夜の兵庫と神戸―』図録、2017        

当初、兵庫港に寄航した蒸気船に供給する石炭は、九州や中国地方で産出したものを購入していました。しかし、後には近在での炭鉱開発にも目が向けられるようになります。この地における炭鉱開発は、生野銀山で採掘に携わった人々によって、安政4年(1857)にはじめられています。神戸海軍操練所の閉鎖などで一時中断された後、慶応2年(1866)8月26日の再許可を得て再び採掘が始められます。本図は、摂津国八部郡車村・妙法寺村(現在の神戸市須磨区)における石炭鉱を描いた絵図です。図中には、石炭の鉱脈(「石炭筋」)や坑道の入り口が図示されています。特に、車村地内の字道谷付近に大きな石炭の鉱脈があったことがわかります。「慶応二丙寅年九月」と記されていることから、再採掘にあわせて作成されたものでしょう。炭鉱の調査には、外国奉行方や歩兵方が関わり、京都詰めの勘定奉行服部常純の指揮下で、運搬路と石炭会所の建設が進められています。また、本図の外題には「海軍関係之部第七号」との記載もあり、幕府海軍(軍艦方)の関与もうかがえます。

肝心の採掘状況はというと、慶応3年4月頃の記録では、日々60人が採掘にあたり1万斤(約6トン)を産出していました。その後、6月には妙法寺村で新たな鉱脈が見つかり、日々150人が働き3万斤(約18トン)を産出するようになり、その結果、慶応3年の産炭量は262万9,800斤(1,580トン)に達しています。こうした状況を踏まえ、兵庫では同年7月に石炭の保管蔵を従来の2 棟に加えて2 棟を増築、さらに軍艦方の石炭囲所地内に3棟を増築しています。

【開国・開港】

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