阿金法印五輪塔
あごんほういんごりんとう
概要
阿金は戦国時代の僧侶で、大村純忠に仕え武人としても活躍した人物。大村藩の文献には、純忠によるキリスト教への改宗に反発し、神仏像を守り嬉野へ逃れ、慶長十年に当地で死去したとの記録があり、墓塔の存在も記されている。
阿金の墓は、その後長く所在が不明になっていたが、八幡結社の現住職の祖母にあたる人物が嬉野市内で墓石を発見し、昭和41年に大村市に移設した。
銘文により、大村の中世史に関わる重要な人物の墓石であることが特定され、大村の宗教史を物語る文化財としても、歴史的に高い価値が認められる。
墓石は、上半部は後世のものが組み合わされているものの、下半部の地輪、水輪は当該期の五輪塔の典型的な形式のもので、石造物としての価値も高い。