八幡結社の懸仏(御正体)
はちまんけっしゃのかけぼとけ(みしょうたい)
概要
日蓮宗八幡結社に代々伝わる。八幡結社の前身は市内黒丸町八幡にあった八幡宮(後の八幡神社)で、昭和18年に国に接収され市内大川田町に移り、昭和34年に現在地に移転した。
鏡面の裏面に万治2年(1659)の年紀を持つ墨書があり、この仏像が八幡宮の阿弥陀如来の尊像であること、八幡宮がキリシタンの焼き討ちにあった際に阿金法印が嬉野(現佐賀県嬉野市)に避難させたこと、後に4代藩主大村純長が寺院・神社の復興を進めた際に八幡宮を再興したことが記されている。
専門家の調査では鎌倉時代後期の作との所見であり、大村市内の現存する仏像(金銅)では最古のもの。作りは上品で精緻な加工が施されており、高度な技術がうかがえる。
また、裏面の墨書により、キリシタンによる寺社破壊をくぐり抜けた稀有な存在であることがわかり、大村の特殊な歴史性を物語る文化財として高い価値を有すると認められる。