弘福寺本堂(大雄寳殿)
こうふくじほんどう だいおうほうでん
概要
弘福寺は、牛頭山と号する京都・萬福寺末の黄檗宗寺院である。創建は延宝元年(1673)または同2年である。開山は鐵牛道機、開基は稲葉正則である。現在の伽藍は関東大震災後の復興によるもので、本堂(大雄寳殿)は昭和4年(1929)に起工し、昭和8年に竣工した。棟梁は和田政吉である。本建物は、二重仏堂である礼堂の後方に一重の後堂が接続した複合仏殿である。礼堂の外観は萬福寺大雄宝殿と同様に裳階付きの建物にも見えるが、実際は上重柱が土居桁上に建つ二重仏堂である。月台・聯額・棟飾りなどを備える点は黄檗宗大雄宝殿の一般形式に準じる。礼堂は、堂内の柱に渡された梁・貫と束を用いた複雑な架構によって広い空間が実現されている。すなわち、二重構造とすることによって下重正面側の入側柱を省略し、四天柱を後方に一間ずらして配することで屋内の前方と両脇に二間分の空間を作り出した。さらに本尊を後堂に安置することで礼堂に儀礼・礼拝のための十分な空間を確保している。このように、黄檗建築の様相を呈する外観と、二重仏堂であること、堂内の柱に区切られない空間、本尊を後堂に奉安する複合仏殿の形式という各特徴の間には相互に密接な関連性があり、伝統的な意匠と近代的な機能を両立させる工夫が伺える。