半田ハリストス正教会の聖障(イコノスタス)
はんだはりすとすせいきょうかいのせいしょう(いこのすたす)
概要
半田ハリストス正教会の聖障(イコノスタス)
はんだはりすとすせいきょうかいのせいしょう(いこのすたす)
その他 / 明治 / 安土・桃山 / 江戸 / 室町 / 鎌倉 / 南北朝 / 中部 / 愛知県
愛知県
1880年代
本イコノスタスは、半田ハリストス正教会聖イオアン・ダマスキン聖堂において、東にある至聖所とその西にある聖所を仕切る。中央に王門、左に北門、右に南門をそなえ、イコノスタスの一般的な構成を示す。
王門には左右の扉にそれぞれ3点、計6点のイコンが配置される。サンクト・ペテルブルグのカザンスキー(カザン)大聖堂イコノスタス王門の6点のイコンをモデルとする。カザンスキー大聖堂では、「生神女福音」の場面が中段に置かれ、上段と下段に配された四福音書記者によって囲まれるのに対し、半田ハリストス正教会では、同場面が上段に置かれ、中段と下段に四福音書記者が配されているため、一部配置が異なっている。
また、イコノスタス上段には計15点、下段には12点のイコンが配置される。
聖堂空間の幅(5m46㎝)を占める。
聖障の聖像(イコン)27枚(下段12枚・上段15枚)
半田市乙川西ノ宮町三丁目33番地
半田市指定
指定年月日:20190621
半田ハリストス正教会
有形文化財(美術工芸品)
『半田ハリストス正教会百年史 知多半島伝道百三十年の記録』によると、1913年1月19日午後1時、豊橋教会の建設にあたっていたモイセイ河村伊蔵が乙川に立ち寄り、イコノスタスを視察、その建築構造についても指示をし、必要なイコンを東京の本会に上申したところ、まもなくイコノスタス用の大イコン、王門の四福音書記者、生神女福音(受胎告知)などのイコン合計12点が届いた。王門とその左右に配されるイコノスタス下段の計12点のイコンについては、様式と判型の一貫性と主題的な整合性から判断して、この時に届けられたものと推定してよい。
また同年2月28日、望月伝教者と執事パウエル三澤氏が連名で、イコノスタスに使用するイコンを送るように東京本会事務所に宛てて願状を出している 。イコノスタス上部のイコンの一部またはすべては、この願い出により送られてきたものと考えられる。これらのイコンについては、様式の観点から複数の由来をそなえるものと推定される。満州大聯のロシア領事館内の小聖堂のイコンが日露戦争後に譲渡されたとも伝えられる が、これらのイコンの一部がそれに該当する可能性がある。