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ヨハネ黙示録(2)

-わたしはまた、御座にいますかたの右の手に巻物があるのを見た、その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印が封じてあった。

概要

ヨハネ黙示録(2)

-わたしはまた、御座にいますかたの右の手に巻物があるのを見た、その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印が封じてあった。

版画 / リトグラフ(石版画) / ヨーロッパ

ルドン、オディロン  (1840-1916)

1899年

リトグラフ・紙

32.0×23.9

額装

 天界の「開いた門」の奥に設けられた御座の情景である。中央には全身を光り輝かしている「御座にいます方」、そして彼の両側に控える獅子、雄牛、人間、それに鷲のような姿をした有翼の「四つの生き物」、画面上部に描かれたアーチ型の「虹」、画面下方の「水晶に似たガラスの海」、これらのモティーフは、テキストの細部にわたる詳しい記述の文字通りの再現ではないにしても、全体としては聖書のテキストの趣に忠実に従っている。リチャード・ホップスは、この作品がデューラーの「聖ヨハネ黙示録」第3場面の「ヨハネ天へ上れと命じられる」に基づいて選択されたことを強調している。確かに書物が「御座にいます方」の右膝の上に斜に置かれていることは、デューラーと共通するが、しかしこの書物はなお閉ざされたままである。だが安定感のある左右相称の画面構成、中央部の群像配置法、そして何よりも総体的な視覚印象は、われわれの脳裡にすぐさま中世の教会堂正面扉口(ポルターユ)上部の半円形壁面(タンパン)に刻まれた四福音者の象徴を伴う「再臨のキリスト」の浮彫を想起させるに違いない。画面上部の半円形の虹の描写でさえ、教会の半円形壁面を枠どりするアーチ状の弧帯(ヴッシュール)の形態そのものといってよい。こうした図像構成は、ロマネスク時代のモアサック修道院教会南扉口や、ゴシック時代のシャルトル大聖堂西正面中央扉口の「再臨のキリスト」などの浮彫彫刻はいうに及ばず、中世に建立されたフランス各地の教会堂芸術にしぱしば見られる伝統的図像である。
 中世において有翼の獅子は荒野の叫び声を福音書の冒頭に記した福音者マルコ、有翼の雄牛はザカリアの犠牲を同じく福音書冒頭で語った福音者ルカ、鷲は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と語り始め、信徒を神の言のただ中に迎え入れ、全ての人々を照らすまことの光を見据える福音者ヨハネ、有翼の人間はキリストの肉による先祖を記すことから叙述を進めた福音者マタイを象徴した。四つの象徴の形態は必ずしも明瞭に絵解きされておらず、配置としても中央の人物に完全に従属するものとなっている。ここでは左方の雄牛の頭の背後に、本来はテキストに従って「人間のような生き物」が描かれているはずであるが、実際には眼のある翼状の形態しか見ることができない。一方中央の人物は霊的存在として彫塑的形態感をなくしており、前方に突き出した右脚のみに量感表現が賦与されているにすぎず、その閉じられた眼は観る者に神秘な瞑想的精神の探さを体験させる。さらに画面下方の海の描写は、ルドンの最初の石版画集「夢の中で」(1879年)に含まれた「孵化」や、「ゴヤ讃」(1885年)の中の「沼の花、悲しげな人間の顔」、あるいは「聖アントワヌの誘惑」第1集(1888年)における「最初に水溜りが……」といった作品をはじめとして頻繁に用いられたモティーフであり、色価(ヴァルール)の画家ルドンはこの翳りのある霊妙なモティーフをよほど深く気に入っていたのであろう。ここでは大きな黒の塊量(マッス)をぼかしつつ、周囲の白い面と対照させることによって、まさに水晶のように煌めく水面が見事に描出されている。しかもデューラー風の克明な説明描写は回避され、中世キリスト教芸術において具現された本質的なヴィジョンに迫ろうとしていることが理解されよう。(中谷伸生)

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