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ヨハネ黙示録(12)

これらのことを見、かつ聞いた者は、私、すなわちヨハネである。

概要

ヨハネ黙示録(12)

これらのことを見、かつ聞いた者は、私、すなわちヨハネである。

版画 / リトグラフ(石版画) / ヨーロッパ

ルドン、オディロン  (1840-1916)

1899年

リトグラフ・紙

29.4×23.4

額装

 ヨハネは苦行禁欲の修道士さながらに、長い髪を肩まで垂らし、顔と項と口のあたりに髭を生やして、やや頭を回らし、俯きかげんの敬虔な姿勢で合掌する。彼の眼は目前に示された戦慄と驚愕の聖なる黙示劇の終曲を、ただひたすら謙虚に見つめているのであろうか。それにしても彼の横顔は愁いに満ちて寂しげである。ルドンは1893年、つまりこの作品制作の6年前に、彼より一世代早く活躍したフランス・ローマン派の作曲家フェルディナン・エロールの作品「感傷的な騎士たち」のために、合掌して祈る少女の横頚を扉絵に版画化した。ヨハネの祈る姿は、モティーフとしては、そのヴァリエーションとも考えられるが、祈るヨハネはより一層真剣で、しかも純粋、善良、素朴かつ謙虚な人物として、この連作版画中でも別種の精神的崇高さを示している。ヨハネの光沢のある毛髪や髭、身に着けた衣服は、この上もなく柔かい一種抒情的な描線によって視覚化されている。最初の石版画集「夢の中で」及び「聖アントワヌの誘惑」第1集といった意識下の夢魔の表出にも繋がる作品に見られる、顕著な黒の示す悪魔的な美学は、この「聖ヨハネ黙示録」の主題において、聖なる光明との葛藤の中に置かれ、遂には後者によって克服されるような作品をも産み出すことになったのである。このわれわれの胸を強く打つ、言葉の本質的な意味における「敬虔」そのものの表現は、ルドンの内面の奥深い領域で生動していた魂の棲処が奈辺にあるかを明白にしている。その観点からいえば、この作品は「聖ヨハネ黙示録」連作石版面中でも、最も精神性の高い秀逸な作品であり、「黙示録」の最終場面を飾るにふさわしい宗教的品格を具えた人物画である。この作品が「宗教芸術」と呼ばれるべきであるか、それともルドンの芸術的幻想の作品であるかという、二者択一的な問は全く無益な詮索としかいいようがない。われわれは『黙示録』最終章最終行の「主イエスよ、きたりませ。主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。」と語るヨハネの言葉をこの画面に重ねて読むべきであろう。(中谷伸生)

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