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ヨハネ黙示録(6)

・・・ひとりの女が太陽を着て、

概要

ヨハネ黙示録(6)

・・・ひとりの女が太陽を着て、

版画 / リトグラフ(石版画) / ヨーロッパ

ルドン、オディロン  (1840-1916)

1899年

リトグラフ・紙

28.7×23.0

額装

 天に大いなるしるしが現われたとき、地上では太陽を着た女が、「子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた」とテキストは記している。だがルドンはこの叙述を無視して、体を背後に傾けながら、踊るように両腕を頭上で絡ませ、手首と指先を秘儀的に屈曲させた無表情な一人の女を描き出した。また本来は頭に十二の星の冠が見られるはずのところが、ここでは線文様の入った帽子型の被りものに代えられている。女の横頚は、上半身や左腕に見られる量感表現とは異なり、やや平板な形態にされ、その特徴のある頗立ちは、むしろオリエントの踊り子を想わせる。また女の身体描写を分析すれば、右腕の付き具合がいかにも不自然である。アカデミックな画技の修得を嫌ったルドンは、写実的で客観的な人体把握を苦手としていたことも事実であるが、この描写はむしろそうした理由以上に、自然主義的な対象把握を敢然と拒否する彼の制作理念の表われと解する万が正当であろう。この場面もデューラーが扱ったものであるが、天上界と地上界との二つの情景を一画面中に組合せたデューラーの煩墳な後期ゴシック的物語画面構成とは逆に、ルドンはここでもまた「太陽を着た女」というただ一つのモティーフに集中し、テキストを離れて、自己の造形的な想像力が産み出す幻視的ヴィジョンの表現に努めている。女は太陽を着るというよりも、太陽を背にした逆光の位置に配されている。大きな太陽を背にした人物、あるいは日輪の中の顔というモティーフは、ルドンの想像力を繰返し刺激したようである。たとえばフローベールのテキストによる「聖アントワヌの誘惑」第三集(1896年)中の「ついに日輪が現われる。……そして太陽の円盤の中に、イエス・キリストの顔が輝く」といった作品においても、ルドン自身の想像力による驚嘆すべきヴィジョンが実現されている。彼は明らかにその神秘的ヴィジョンの実現に関心を抱いたものと理解して間違いないであろう。(中谷伸生)

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