讃岐遍路道
曼荼羅寺道
善通寺道
根香寺道
さぬきへんろみち
まんだらじみち
ぜんつうじみち
ねごろじみち
概要
古来、西国三十三箇所、坂東三十三箇所等の各観音巡礼やそれらを模した写し巡礼と呼ばれる地域的巡礼及び各地の七福神や十三仏など、国内には多種多様な巡礼が存在しているが、四国八十八箇所遍路は、西国三十三箇所巡礼と並ぶ代表的な巡礼の一つである。四国八十八箇所霊場をめぐる遍路道は、四国4県にまたがる空海(謚号は弘法大師)ゆかりの寺社を巡る全長1,400キロメートルにも及ぶ霊場巡拝の道で、弘法大師の足跡を追体験する巡礼とされる。遍路道は古来より人々の往来や文化交流の舞台となり、沿道には数多くの石造物等の文化財が残されている。
四国八十八箇所霊場を巡る遍路の始まりについては定かではないが、第49番札所浄土寺本尊の厨子には大永7年(1527)紀年銘で「辺路同行五人阿州名東住人」、元亀2年(1571)の第30番札所土佐一宮(現在の札所は隣接する善楽寺)の「四国中辺路身共只一人、城州之住人藤原富光是也」の墨書をはじめとする記載から、少なくとも16世紀には遍路という行為が行われ、四国内や他国からの遍路が訪れていることが分かる。文献史料上における寺番を付した八十八箇所の初出は、貞享4年(1687)に大坂在住の僧真念によって著された『四国遍路道指南』である。真念は幾度となく遍路を重ね、無料休息所としての遍路屋の設置や案内書の作成、道標の建立を行った。これ以降、遍路は一般の民衆にも徐々に普及し、四国遍路が広まった。その結果、実際に遍路を経験した人が書き記した「道中日記」や「納経帳」などが残され、当時の具体的な札所や遍路の動向などが知られるようになる。
今回指定しようとするのは香川県坂出市から高松市…