後藤の朱槍
ごとうのしゅやり
概要
慶長16年(1611年)、現在の西舘にあった不動堂要害を任され、伊達家の信任厚く不動堂の地を治めた後藤家(家格:宿老、2,000石)に代々伝わってきた「朱槍」がある。後藤家に伝えられてきたこの槍は、昭和49年に小牛田町に2本が寄贈され、長く中央コミュニティセンター(旧公民館)の2階において保管、展示されてきた。
この2本の朱槍にまつわる伝承がある。
仙台藩が伊達家家臣の系譜をまとめた『伊達世臣家譜』には、後藤家の祖先秀基が織田信長の兄信廣に仕えた際、織田家の家紋である「木瓜紋」を賜ったと書かれている。また秀基の死後、その子である信道が織田信長から「木瓜紋」を家紋とすることを許されたことも記されている。
一方、昭和12年に鈴木省三氏が仙台藩の民俗事例を考察、執筆した『仙台風俗志』には、後藤氏の祖先が織田信長より「朱塗の槍」を拝領したことが記載されている。またその槍持ちは長さ三尺の髭を蓄えた関羽の如き大男が務める慣わしがあり、伊達家行列における3本の名物槍の一つ「髭男の朱槍」として広く知られていたことが、挿絵とともに紹介されている。
伊達三本槍のうちの「片倉の糊刷毛槍」「茂庭の胴白槍」は鞘が特徴となっている。残る1本である後藤家に伝わる「髭男の朱槍」は、槍の鞘は注目されておらず、槍の柄が朱漆で塗られていること、槍持ちの男が長く立派な髭を持つ大男であることの2点が大きな特徴となっている。