過所船旗〈天正九年三月廿八日/〉 1幅 かしょせんき

文書・書籍 / 安土・桃山 / 近畿 

和歌山県
安土桃山時代/1581年
 (形状)絹本墨書 掛幅装
 (材質)画絹
(法量)縦 58.4センチ、横 43.2センチ
1幅
和歌山県和歌山市吹上1-4-14
重文指定年月日:20150904
国宝指定年月日:
登録年月日:
国宝・重要文化財(美術品)

 瀬戸内海を支配した能島村上氏の当主武吉が向井弾右衛門尉に発給した、自己の海上勢力圏を航行する船舶に通航許可を認めたことを示す、通航証的機能を付与した旗である。本来は前掲の過所船旗に類似した形状であったと思われるが、近年の改装で絹本墨書掛幅装とされた。料絹は緯糸が太い画絹を使用する。前掲の過所船旗とくらべ料絹は大きく上質であり、宛所の位置などの記載が書札礼上、比較的厚礼な様式をとる。受給者の地位や武吉との関係が推測され、申請者の立場により発給された旗の形状・材質・表記に差異のあったことが確認される。
 受給者の向井弾右衛門尉は、戦国期に紀伊国で勢力を持った有力国人連合、雑賀衆の一員と目される商人の一面を持つ武士である。本拠は紀淡海峡に面した瀬戸内海の入口にあたる賀太で、半農半漁的な色彩が強い、塩業や漁業が盛んな土地柄である。雑賀衆は優れた鉄砲隊を有し、諸大名の傭兵として知られたが、本来は本拠の紀ノ川流域、河口部、紀淡海峡を起点に瀬戸内から九州に至る海上を行き交う海運業を営んだ集団としての側面を持っていた。
 発給年の天正9年(1581)という時期は、村上武吉にとっては、第一次木津川口合戦の勝利以降、天正10年の羽柴秀吉による毛利領侵攻、同16年の海賊禁止令により独立性を喪失し衰退期へ向かう前で、能島村上氏の最盛期に位置づけられる。受給者である雑賀衆では、同10年の内訌を契機に、国人連合が分裂抗争に入る直前の時期で、ともに海上勢力が活発な活動を行い得た最後の段階である。
 本船旗は交通の大動脈であった瀬戸内海での海上交通の実態を伝える稀有な資料であるととも…

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