「今庄家秘筐 桜霜巻」 いまじょうけひきょう おうそうかん

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文書・書籍 / 昭和以降 / 富山県 

能坂利雄 (1922~91)
のうさかとしお
富山県高岡市
昭和33年11月27日/1958
紙本・巻子・墨書・彩色
(本紙合計)26.8×342.7㎝、(全体)29.7×417.3、(軸長)32.4
1
富山県高岡市古城1-5
付属品:共箱(二重木箱)、牛豚鶏肉定価表(金子牛肉店)、名刺(笹井作次郎)、名刺(陸軍金沢師団経理部長 新居邦八)、名刺(陸軍糧秣本廠々員 橋本英一)
高岡市(高岡市立博物館保管)

 本資料は、かつて高岡名物「桜あんころ」を製造・販売していた今庄作次郎(1890~1981)について記された巻子である。
 次の7点の資料からなる。①能坂利雄著「序」(昭和33年11月27日)、②笹井家戸籍抄本(明治42年7月26日)、③屋台売渡証(大正2年10月8日)、④建物賃借契約証(大正2年10月5日)、⑤あんころ製造販売権委託契約解消につき示談契約書(昭和2年4月)、⑥あんころ製造用具価格書上(大正15年5月24日)、⑦能坂利雄筆「高岡名物桜あんころ製造本舗表点描」。

 ①の序文では高岡名物「桜あんころ」を製造・販売していた今庄作次郎の半生がまとめられ、それを証する②~⑥の資料が添付されている。序文の著者、能坂利雄(1922~91)は富山県氷見市出身の作家・郷土史家である。
 砺波郡佐野村(現高岡市佐野)の農家・笹井久蔵の四男として生まれた作次郎(②)は、13歳で単身上京し、高岡出身の銀細工師の徒弟となる。しかしこの主人が酒乱で人使いが荒く、ここを出奔。次いで肉屋で7年の奉公を経て独立。本所表町の八軒長屋の一棟を月2円50銭で借り(④)、深川区入舟町の大木元次郎から14円の屋台を買い受けた(③)。そして肉、おでんなどを浅草まで出張し、販売した。しかし、この頃より脚気を患い、本所より浅草までの歩行が困難となった。生誕の地を踏めば、脚気が平癒するという習俗もあるので、越中に帰郷した。大正2年(1913)10月、作次郎24才のことである。
 この頃、高岡に「あんころ」業を営む今庄外次郎がおり、たまたま手伝いを依頼され、働きはじめた。努力、誠実を認められ、31歳の1月9日、同家息女を娶り入婿・分家し、高岡市大工町に新居を設けた。
 その後、大正15年5月24日、本家今庄外次郎より仁ヶ竹与太郎(高岡市下関町)へ譲られていた、あんころ製造用具一式を119円42銭6厘で買い戻し、更に昭和2年4月、仁ヶ竹与太郎とも話合いの上、駅構内の立売権も700円にて収得した。

 その後も製品の改良を怠らなかったので、営業は益々軌道にのった。子も3人恵まれたが、妻は死去してしまった。人のすすめもあり、翌昭和3年正月、現在の妻を迎え、一家は和やかさを取り戻した。
 以来35年、桜馬場の桜は姿を消したが、「桜あんころ」の名はいよいよ高くなった。それはひとえに作次郎の不撓の志、溢れる熱情、不屈の信念による努力の賜物であろう、とある。

 ⑦は桜馬場にあった(1)店舗「花より軒」の水彩画である(能坂利雄画)。この店舗での卸製造は明治45年4月に始まる(2)。高岡駅での立ち売りは中野清助がしていたが、大正4年3月、その死去により、同年5月6日、駅での立ち売りも引き継ぎ、駅舎脇に店を設けた。ちなみに、同7年11月30日より駅構内にてうどん・そば類の販売も開始した(3)。桜あんころの製造・販売は昭和39年頃まで続けられた(4)。列車の近代化で車内販売が主流となり、売り上げが落ちたためという。その頃に店舗は取り壊わされ、高岡でも草創期の貸ビル「今庄ビル」が建設された(5)
 「桜あんころ」(花より軒)の初代・今庄外次郎は、砺波郡横越村(現高岡市戸出横越)から高岡へ出て「桜あんころ」の卸製造を始めた。
 そもそも「桜あんころ」の伝承は、高岡開町(1609年)の後に造られた馬場の土手に、砺波郡太田村(砺波市太田)が献上した桜の苗を植え、「桜馬場」となった。その桜を激賞した前田利長(利常)が配布した祝い餅の製法を父子相伝で受け継いだものという(6)
 その後、桜馬場は桜の名所として著名になり、広く北陸一帯から花見客が集まったという(明治35年、公園指定)。しかし昭和30年頃、道路拡幅に際して公園は廃止され、桜も撤去された。しかし、苗木の一部は加茂善治氏(高岡市の園芸研究家)らの努力により、高岡古城公園小竹藪の桜に芽継ぎされ、生き残った。平成20年(2008)には富山中央植物園の大原技師により、小竹薮に育つ桜のうち、他と違う新品種「タカオカコシノヒガン」が発見・命名された(7)。さらに、同技師は22年にも小竹藪で新品種「コシノカモザクラ」を発見した(8)

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【注】
1.高岡市末広町962(『高岡市商工人名録』高岡市役所、昭和2年)。のち現御旅屋町1028。
2.昭和56年2月19日付「北日本新聞(夕刊)」
3.大野靖三編『会員の家業とその沿革』昭和33年、国鉄構内営業中央会発行、p418-419。大正14年12月1日、立売営業は今庄作次郎が、麺類食堂は本家2代の栄定(外次郎長男/作次郎義弟)がそれぞれ引き継いだ。
4.間馬秀夫「金子宗右衛門の桜献上」『土蔵』14号、土蔵の会発行、平成21年9月、p10
5.今庄ビル経営者・今庄節子さん(62)の話(平成3年9月9日付「北日本新聞」)
6.柿谷米次郎『高岡史話(庶民の歴史)』上巻、高岡史談会、昭和43年(3版/初版同39年))、p48
7.高岡古城公園公式HP
8.富山新聞 2018年3月20日付

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【釈文】

①能坂利雄著「序」(昭和33年11月27日)

    序
 夫れ水は方円の器に随い、人は衣食足りて
 福徳を得、商機は時と処を弁えて富貴
 を産むと覚えむ哉、
  高岡名物「桜あんころ」製造本舗主、今庄
 作次郎氏の半生を按ずるに、氏は農家笹井久蔵
 氏の四男として、明治二十三年霜月二十七日、
 佐野に呱々の産声を挙げしが、初少は農事
 にたづさわり居るも、不撓不屈の魂は立山の
 顚にも似て峻にして洌々、青雲の志、彊みがた
 く、明治三十五年、十五才の梅匂う如月はじめ、
 紺がすりに兵児帯を締め、草鞋を穿、一蓋
 の菅笠を戴き、越路の風に紅顔を嬲らせつつ、幾山
 河踏み越え、単身東京へと赴けり、
  当時、神田五軒町に、高岡の人、桶常次郎氏
 ありて銀細工業を営み居り、ここに徒弟として
 住みこみたり、
  然れ共、桶氏酒淫甚だしく、人使い荒く、二歳
 の見込みすでに前途なく、意を新にここを出奔、
 日本橋の肉屋に奉公し、精進おさ〱怠りなく
 勤めおりしが、七年ばかりに幾何かの小金も貯え
 たれば、本所表町の八軒長屋の一棟を月二円
 五十銭で借り受け、深川から十四円の屋台
 を買い受け、肉、おでんの煮込みなぞ仕込み、
 浅草へ割場所を受けて出張せり、
  時恰も大正二年秋十月のことなれ共、この頃より
 脚気を患い、本所より浅草までの歩行に困難
 を覚えたれば、習俗に産土の地を踏めば、脚気
 平癒の効ありとて、越中に帰郷す、
  氏二十四才の事也、
  この頃、高岡に「あんころ」業を営む今庄家
 あり、時偶々手伝いを依頼され、ここに働く身と
 なりしが、努力、誠実を認められたれば、三十一
 歳の初春、松の内も明けざる九日をもつて、同家息
 女を娶り、大工町に新居を設くることとはな
 りたり、
  その後、大正十五年五月二十四日、本家今庄氏
 より仁ヶ竹与太郎氏へ譲られおりし「アンコロ」
 器一切を百十九円四十二銭六厘もて買い戻し、
 昭和二年四月、更に同氏とも話合いの上、駅構
 内の立売権七百円にて収得なし、製品の改
 良吟味怠りなく、益々軌道本格の拍車を
 かけむとなす、
 ここにおいて、漸く仕事の基礎も固り、三児の
 親とて世の羨望うくる身とはなりたるも、
 この年俄かに妻女の逝去に逢い、嬰児を
 抱え人生の無情をかこつ身とはなれり、
  されど人のすすめあり、翌昭和三年正月、
 現在の内儀を迎え一家に温睦の和やかさを
 ば取り戻せり、
  払暁に鶏声聴きて床を放ち、暮靄立
 ちこむ星影踏む夕深く精励格謹、日夜
 を問わず、あらゆる艱苦と闘い、爾来風雪
 三十五年、
  桜馬場の桜、今は姿を消せど「桜あんころ」
 の名は愈々高く、老幼嗜好者の話題賑わす
 こと久しきは繁昌著しき証也、
  斯は氏の不撓の志、溢るる熱情、不屈の
 信念による努力の賜物と謂わざるべからず、
  財は一朝に積まざるもの也、
  今庄家、万世の礎は作次郎氏によりて成
 されたり、
夫れ努力は福也、
福は徳也、
徳は万金にまさる富貴とは天地俯仰の
哲理ならむ哉
一巻の首に記して序文となさむ、

 昭和三十三戊戌歳霜月二十七日
        需に応じ之を誌す、
           能 坂 利 雄(印)

―――――――――――――――
②笹井家戸籍抄本(明治42年7月26日)
 
富山県射水郡佐野村大字佐野村□□□□番地/平民/前戸主亡養父笹井和越右衛門
明治廿六年二月十二日相続ス/戸主/亡和右衛門養子/笹井 久蔵/嘉永四年二月朔日生
同県砺波郡油屋村、平民今井元右衛門長女入籍ス/妻/よさ/安政八月七日生
長男/和三郎/明治八年十二月三十一日生
四男/作次郎/明治廿三年十一月廿七日生

右之抄本ハ戸籍ノ原本ト相違ナキコトヲ認証ス、
   明治四十二年七月二十六日
    射水郡佐野村戸籍吏 島 善七(印)

―――――――――――――――――――
③屋台売渡証(大正2年10月8日)

      売渡証
 ・四輪車屋台 壱輌
    此代金拾四円也
 右之物品、前記代金ヲ以テ売渡シ、代金正ニ受
 取候処実正也、就テハ該品ニ対シ故障等、
 他ヨリ□之事、拙者ニ於テ引受ケ申候、為後日
 売渡証、依テ如件、
  大正二年十月八日
          深川区入舟町二番地
            大 木 元 次 郎(印)
    笹井作次郎殿

――――――――――――――――――――
④建物賃借契約証(大正2年10月5日)

    建物賃借契約証
 本所区表町弐拾番地
 一、本区トタン葺八戸、壱棟ノ内西ノ角葺下シ壱戸
     此壱ヶ月之賃料金、弐円五拾銭ツヽ
(印刷文六行省略)
 第弐條 賃借期限ハ、本日ヨリ参ヶ年ト定ム(以下印刷文十四行省略)

 大正弐年十月五日
          借家人
          負担人
            殿

――――――――――――――――
⑤あんころ製造販売権委託契約解消につき示談契約書(昭和2年4月)

    契約書
 大正十参年参月、今庄外次郎ハ仁ヶ竹与太ニ対シ、
 高岡駅構内あんころ立売営業権ヲ有スル、あん
 ころ製造方ヲ託シ、爾来同人ニ於テ製造中度
 々不都合ノ点有之為メ、其製造委託ヲ解キ
 今般第三者今庄作次郎ヘ前記鉄道省ヨリ既
 得権ヲ譲渡シ、目下今庄作次郎ニ於テ製造
 販売中ノ処、今般仁ヶ竹与太ニ於テ、金沢運輸
 事務所ヘ高岡駅構内あんころ立売営業認
(※1)可申請シタルモ(出願ヲ為シタルモ)当事者示談ノ上、仁ヶ竹与太ハ
(※2)右構内立売認可申請(出願ノ願下ケ)ヲ條件トシ、並ニあんころ
 製造用諸器ノ損害金トシテ、今庄作次郎、
 今庄外次郎ノ両名ヨリ、金七百円也ヲ仁ヶ竹
 与太ニ交附シ、事件ヲ円満ニ解決シタリ、依テ
 為後日関係者左ニ署名捺印ス、
  昭和弐年四月  日
    高岡市下関四参参番地
         今庄外次郎(印)
    高岡市末広町九百六十二番地
         今庄作次郎(印)
    高岡市下関参百九十弐番地
         仁ヶ竹与太(印)
    高岡市下関三百九十弐番地
      立会人 川崎義次郎(印)

【注】
1.欄外「八字加フ/六字削ル」
2.欄外「六字加フ/弐字削ル」

――――――――――――――――
⑥あんころ製造用具価格書上(大正15年5月24日)

 今庄作治郎様
       仁ヶ竹与太郎
   キ
一、金弐拾壱円也  売子箱/二個
一、金壱円拾壱銭  デッテル/壱千十枚
一、金拾壱円四拾銭 印半天/三枚
一、金弐拾円也   アンコシ器/壱個
一、金七円也    アンコロハチ/大二個
一、金八円四拾銭  同/小三個
一、金七円八拾銭  同/小三個
一、金四円也    同/口カケ小二個
一、金弐円五拾銭  金シャク/壱本
一、金四円也    米上ケ/桶四個
一、金五円五拾五銭 アンコシ籠/三個
一、金弐拾七円六拾六銭六厘 鉄道/営業税/三分ノ一分
   合計壱百拾九円
      四拾弐銭六厘也
   右通り相定候也、
  大正拾五年五月廿四日

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