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暉福寺碑

きふくじひ

概要

暉福寺碑

きふくじひ

/ 南北朝(六朝) / 中国

制作地:中国

北魏時代・太和12年(488)

紙本墨拓

1幅

439年に太武帝が華北を統一してからも、北魏はさらに95年ほどの命脈を保ちました。北魏は鮮卑族@せんんぴぞく@の拓跋氏@たくばつし@によって建てられた国でしたが、493年、第6代の孝文帝が洛陽に遷都すると積極的に漢化政策を推進し、洛陽の郊外に龍門石窟を造営しました。洛陽に遷都する以前の書は、魏晋時代の古風な面影を残していましたが、遷都以降の書は南朝の良さを取り入れ、雄偉で構築性に富むようになります。洛陽遷都後の書は、鮮卑族と漢民族の文化が、さらには外来の仏教芸術と中国の伝統芸術が融合したものと言うことができるでしょう。ここでは、洛陽遷都以前の暉福寺碑と、北魏の末ごろの張猛龍碑の書風の違いをご覧ください。(富田さん執筆)

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キーワード

/ 中国 / 洛陽 /

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