須恵器 𤭯
すえき はそう
概要
古墳時代中期、5世紀頃になると、朝鮮半島から新しい焼き物の技術がやってきます。この技術で作られた器を、須恵器(すえき)と呼びます。それまで主流であった土師器(はじき)は、野焼き、つまり窯(かま)に入れず屋外で低い温度で焼かれたため、比較的柔らかく、水を通しやすいという性質を持っています。それに比べて須恵器は窯を使い、高い温度で焼きしめてつくるため固く、液体を入れるのにも適していました。古墳時代には、この二種類の焼き物が用途に応じて使いわけられていたと考えられます。
𤭯(はそう)は、液体を入れ、それを注ぎ出すための穴があいた須恵器です。胴にあいた丸い穴からそのまま液体が出てくるのでは、ちょっと注ぎにくそうですね。当時は、竹などで作った筒状のパーツをこの穴にはめ、注ぎ口にして使っていたと考えられています。𤭯という呼び方は、古代の文献から知ることができます。一口に𤭯といってもその形は様々で、このような壺形のものが一般的ですが、初期には樽形のものも見られます。時代が下ると、だんだん壺の首がのび、口が広がっていきます。容器そのものよりも口が大きい𤭯もあるほどです。𤭯を捧げ持つ巫女(みこ)の埴輪(はにわ)も発見されていることから、次第に日用品をはなれ、古墳の祭りや儀式で使われることが多くなったのでしょう。