縞地宝尽文様金襴 金春金襴 しまじたからづくしもんようきんらん こんぱるきんらん

染織 /  / 中国 

制作地:中国
明時代・16~17世紀
1枚

 日本では鎌倉時代13世紀、中国で仏教の宗派の一つである禅宗を学んだ僧侶が、お茶の実を持ち帰って以降、茶を飲む風習が広まります。やがて、1杯の茶を入れるために使うさまざまな道具や空間、それらを使って茶を飲む作法が整えられていきました。たんに茶を飲むのではなく、文化的な行為として修養する「茶道」(さどう)の考え方が形成され、現代に続いています。日本の茶道は、17世紀の江戸時代も、ますますさかんとなりました。茶道をたしなむ茶人たちは、茶道具を包んだり、茶室にかける絵や書の表具に用いたりするために、中国からもたらされた、高価で稀少な織物の裂(きれ)を集め、大切にしてきました。そのような裂のことを、「名物裂」(めいぶつぎれ)といいます。加賀藩(かがはん)(現在の石川県)を治めた大名・前田家の当主(とうしゅ)もまた、財を投じて名物裂を蒐集しました。前田家に伝来した名物裂の一部が、現在、東京国立博物館に所蔵されており、この裂もその一つです。
 複数の色を交えた細い縞(しま)模様に、さまざまな宝物(ほうもつ)の図柄(ずがら)を、金糸で織り表しています。宝物は、仏教の教えに登場する、車輪や天蓋(てんがい)や法螺貝(ほらがい)などです。このように金糸で文様を織表した織物のことを「金襴」といいます。細い縞模様は「繻子織」(しゅすおり)という、いわゆるサテン地の光沢のある織物で、明時代には非常に好まれました。
 この裂については、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、大坂城(おおさかじょう)で演じられた「能」において能楽師(のうがくし)をつとめた、金春大夫(こんぱるだゆう)に与えたという伝承があり、別名「金春金襴」(こんぱるきんらん)とも呼ばれます。秀吉の時代、日本の織物はまだ、中国ほど発達してはいませんでした。金糸で文様を織る技術もなく、このような美しく華やかな色彩の織物は、大変に贅沢(ぜいたく)でした。そうした珍しい金襴の裂を与えられたことからも、いかに秀吉が金春大夫を贔屓(ひいき)にしていたかということがうかがわれます。

作品所在地の地図

関連リンク

縞地宝尽文様金襴 金春金襴チェックした作品をもとに関連する作品を探す

五彩金襴手碗
五彩金襴手碗

中国・景徳鎮窯

佐田岬半島の裂織の仕事着
縞地八宝文様金襴(金春金襴)
裲襠 赤地花菱繋模様金襴
袍裂 白地双鶴雲文様錦
ページトップへ