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絵葉書「市立高岡実科高等女学校創立十周年記念」

えはがき「しりつたかおかじっかこうとうじょがっこうそうりつじゅっしゅうねんきねん」

概要

絵葉書「市立高岡実科高等女学校創立十周年記念」

えはがき「しりつたかおかじっかこうとうじょがっこうそうりつじゅっしゅうねんきねん」

その他 / 大正 / 富山県

富山県高岡市

大正10年7月6日/1921年

紙・印刷

縦14.1cm×横9.0cm

1葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-185

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

市立高岡実科高等女学校の創立10周年を記念して発行された絵葉書である。
青い花と草、上部には二上山のイラストが描かれている。中央部の枠中には校門と木造二階建て・瓦葺の校舎の写真が掲載されている。右上千鳥枠内には「日常/三訓」として、「一、一衣一飯、必ず/君父の鴻恩を/謝すべし/一、一事一物、能く自己の/最善を盡すべし/一、一擧一動、常に/心身の快活を/保つべし」と、女学生達に求めるものが書かれている。
表面は、大正10年7月6日の日付で創立十周年記念のスタンプが押されている。絵葉書の形態をとっているが、「郵便はかき」や切手貼り付け欄、通信文の仕切り線などは印刷されていない。


<高岡高等女学校>
 本県最初の実科高等女学校。1911年(明治44)、高岡市立高岡実科女学校として高岡市坂下町の高岡高等小学校内に併置される。創立当初の修業年限は2年で、定員100人。翌年4年生に改まり、別に専科1学級を設けて5学級・定員250人となるが、志願者が増大したため、さらに600人まで定員を拡大する。当時の実科女学校の生徒の制服は海老茶の袴に水色の線を入れており、これはほとんど全国共通であった。
 27年(昭和2)に高等女学校に改まり、従来の専科を廃止するとともに市立高岡高等女学校と改称する。校舎も新たに敷地を求め、高岡市下関に新築される。40年には定員800人、16学級編成となる。戦後、新学制の実施によって県に移管され、48年4月に高岡市立第二高等女学校(旧高岡市立女子実業学校)を統合して県立高岡東部女子高等学校と改称。同年9月、高岡中部高等学校(現高岡高校)に統合された。
<参考文献>富山大百科事典編集事務局編『富山大百科事典 下巻』北日本新聞社,1994

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