花鳥図
カチョウズ
概要
如寄は別号を樗屋、通称を次郎という詩文にも長じた文化人で、明応四年(一四九五)に遣明使節団に加わり、中国に渡ったことが知られる。遺作は十指に満たないが、その中には明の版本に基づいたと思しい西湖図や中国の院体画に学んだ花鳥図などがあり、己の入明経験を意識した作画を行っていたことがわかる。本図もそのひとつで、やはり院体系の折枝画を参考に描かれたものであろう。小品ながら、小禽の生き生きした動勢や細緻な羽毛表現は見応えがある。画面の寸法から推して、当初は画帖に貼付されていたものと思われる。