花厳院文書 けごんいんもんじょ

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文書・書籍 / 江戸  明治  大正 / 東北 

青森県
江戸時代~大正/1627~1917
別紙のとおり
別紙のとおり
358件
青森県三戸郡南部町大字沖田面字沖中46
南部町指定
指定年月日:20210217
南部町
有形文化財(美術工芸品)

 「花厳院文書」は南部氏旧地の八幡宮として歴代藩主の崇敬を集めた本三戸八幡宮の別当職(神職)を世襲した佐々木家の所蔵文書である。「花厳院文書」によると本三戸八幡宮は南部氏が甲斐国(山梨県)から奥州へ下向する際に勧請し、南部氏の奥州入部に付き従った佐々木二郎左衛門が初代別当を務めていたと伝わる。その後、佐々木家は明治時代の24代佐々木但馬までが別当職を務めている(本三戸八幡宮北側の一段下の平場に歴代佐々木家の墓石が残る)。佐々木家が本三戸八幡宮の別当職を解かれた後も佐々木家が文書を受け継いできた。
 中近世を通じてこの地は全国的にも馬の産地として有名であったが、花厳院文書には流鏑馬神事の様子が記されており、南部氏と馬との関係を示す数少ない貴重な記録である。江戸時代の元禄5年(1692)に記された記録には、13代南部守行が応永25年(1418)に本三戸八幡宮において流鏑馬を始め、大向川原に馬場を設けたことが、その後馬場が度重なる洪水に見舞われながらも場所を移転しながら流鏑馬が続けられてきたことが記述されており、南部氏が中世段階から流鏑馬神事を重要視していたことが伺える。藩政期の記録としては、寛永4年(1627)、27代南部利直(盛岡藩2代藩主)によって社領が寄進されたことや、毎年8月の例大祭に藩主の名代として盛岡から重臣が代参した折、流鏑馬が披露されていたことが記されており、南部家が居城を盛岡に移した江戸時代に至っても本三戸八幡宮を厚く信仰し、本三戸八幡宮における流鏑馬神事が大切に扱われてきたことを示している。

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