木造大日如来坐像
もくぞうだいにちにょらいぞう
概要
この大日如来坐像を本尊としている高野山真言宗高野寺は、明治17年(1884)に東川町に仮堂を設け、北南山教王院高野寺として創建された。7年後の明治24年、青柳町に移り堂宇の新築落成をみた。この時本山の高野山金剛峯寺に請願し、高野山谷上の大日堂本尊であったこの仏像を本尊として下付された。大正3年(1914)の火災で現在地に移り、昭和9年(1934)3月の函館大火にも遭ったが、その都度持ち出され難を免れている。
高さ約160㎝の大きな寄木箔押の坐像で両手を無念に智拳印を結び、宝冠を頭上に,胸には瓔珞(ようらく)や条帛(じょうはく)をかけて結跏趺坐(けっかふざ)し、光背は舟形で蓮華座に座り、半眼豊頬で慈悲の眼差しを持ち、仏師定朝の流れをくんだ優美な作風で、平安時代後期の日本化した品の良い仏像の特徴を伝えている金剛界の大日如来像である。
台座、光背などはいずれも焼失のため後補のものである。また、大日如来坐像自体の一部が老朽化していたことや裳先の欠損や金箔の剥落が顕著であったため,昭和45年、国費と道費を得て、財団法人美術院国宝修理所の手により解体修理が行われ、奉還もこの時に復旧した。