鉄雪下胴
テツユキノシタドウ
概要
「雪下胴」は、鎌倉・雪下在住の具足鍛冶が制作した胴の呼称で、鉄板五枚を組合せて、隙間なく体を包む形式。板はすべて蝶番(ちょうづがい)付けとし、これを分解して収納できるところから「解胴(ほどきどう)」などとも呼ばれた。 これは、草摺(くさずり)や篭手(こて)などをすべて欠失、胴部のみが残る。胴正面裏に「雪下久家作 慶長八年(一六〇三)六月吉日」と刻銘がある。久家は天正二年(一五七四)から作例が知られ、慶長年間には伊達政宗の招請で仙台へ移った。江戸時代には、このほか土佐(高知)山内家、肥前(佐賀)鍋島家などでも愛好され、遺品が知られている。