咏淀川十一景詩屏風
エイヨドガワジュウイッケイシビョウブ
概要
中島棕隠(一七七九~一八五五)は京都の儒者・文人で、名を徳規という。和歌や国学を伴蒿蹊に学び、詩歌にすぐれ、書にも長けていた。この屏風は、左隻第六扇に「右、自伏水到浪華舟中、作十/一首、書為大澤君、/天保癸卯仲春 棕隠記(印)(印)」とみえる。これにより、天保十四年(一八四三)二月、棕隠が伏見から大坂まで淀川を舟で下るさい、京都の豪商・大沢氏のため、目にした風景を七言絶句に表したものと判明する。絵こそ伴わないが、趣向は伊藤若冲(一七一六~一八〇〇)の『乗興舟』に通じる。