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絵葉書(皇太子殿下行啓紀念)

えはがき(こうたいしでんかぎょうけいきねん)

概要

絵葉書(皇太子殿下行啓紀念)

えはがき(こうたいしでんかぎょうけいきねん)

その他

紙・印刷,エンボス加工

16葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-169

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

明治42年(1909)に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の行啓を記念して作られた絵葉書である(ただし⑮と⑯は明治42年の北陸行啓と断定するのは難しい)。
すべてにエンボス加工(模様や図柄を彫ってあるロールを、紙・布・皮などに押しつけながら転がして浮き出し模様をつけること)が施されている。また、表面の型式は明治40~大正6年(1907~17)発行のものである。



①「高岡公園」
年代:明治42年(1909)10月2日
作者:高岡市役所発行、東京青雲堂製、学海堂納品
寸法:縦9.0cm×横14.2cm

右の鳥の形の枠内に、朝陽橋や中の島を撮影した「高岡公園」の写真がある。
左上と中央下にスタンプが押されている。左上のスタンプには鳳凰が描かれ、「皇太子殿下/行啓/高岡市/紀念/42.10.2」とある。中央下のスタンプにも鳳凰などが描かれ、「皇太子殿下行啓記念」「高岡市/明治四十二年十月二日」とある。(この2種類のスタンプは①~③共通)

表面には、右読みで「郵便はかき」と1/3線がある。これは、明治40~大正6年(1907~17)発行の特徴である。また、「Carte Postale」「学海堂納品」「東京青雲堂謹製」「高岡市役所発行」とある。(表面は①~③共通)
中央下には、羊の顔が描かれ、「平和/紀念/高岡/8.7.1」とあるスタンプが押されている。これは第一次世界大戦終了(大正7年(1918)終戦)記念スタンプで、後から押されたものと考えられる。(このスタンプは①~⑥、⑮、⑯共通)
なお、同じ絵葉書が既に当館に収蔵されている(1-05-145)。



②「嘉仁親王(大正天皇)・御座所」
年代:明治42年(1909)10月2日
作者:高岡市役所発行、東京青雲堂製、学海堂納品
寸法:縦9.0cm×横14.2cm

右上の鏡の形の枠内に、皇太子嘉仁親王(大正天皇)の写真が、左の額縁のような枠内には、御座所(天皇など高貴な人の居室)の写真がある。この御座所は、皇太子の北陸行啓が決まった際に桜馬場に建設された。



③「高岡市街・高岡御車山」
年代:明治42年(1909)10月2日
作者:高岡市役所発行、東京青雲堂製、学海堂納品
寸法:縦9.0cm×横14.2cm

右上の四角い枠内に「高岡市街」の写真がある。左の白い建物は郵便局(御馬出町)である。中央の枠内には高岡御車山の写真があり、右から、通町・御馬出町・守山町・木舟町・小馬出町・一番街通・二番町と並んでいる。写真の周りには菊や楽器などの模様が描かれている。



④⑤「嘉仁親王(大正天皇)・富山御旅館」
年代:明治42年(1909)
作者:富山県発行、東京日本橋区数奇屋町ともゑ商会製
寸法:各 縦9.1cm×横14.1cm

中央の菊の頭花のような形の枠内に、嘉仁親王(大正天皇)の写真がある。左下の桐の葉の形の枠内には、北陸行啓の際、富山で宿所にあてられた富山県会議事堂の写真がある。写真下には「富山御旅館」と書かれている。富山県会議事堂は、明治42年に皇太子殿下行啓記念事業として建設された。写真の周りには鳳凰や桐が描かれている。
2葉とも同じ内容だが、鳳凰の背景の色が異なっており、1葉は薄い赤紫色で、もう1葉は薄い灰色である。

表面には、右読みで「郵便はかき」と1/3線がある。これは、明治40~大正6年(1907~17)発行の特徴である。また、「Carte Postale」「富山県発行」「東京日本橋区数奇屋町ともゑ商会謹製」「(不許複製)」とある。(表面は④~⑦共通)



⑥「大伴家持万葉歌・立山・伏木港」
年代:明治42年(1909)
作者:富山県発行、東京日本橋区数奇屋町ともゑ商会製
寸法:縦9.1cm×横14.2cm

右上に描かれた色紙に大伴家持の万葉歌「立山に降りおける雪を常夏に見れども飽かず神からならし」(口語訳:立山に降り積もった雪を一年じゅう見ても見飽きることがない。その山の神性ゆえらしい)が書かれている。
中央の雪輪の形の枠内に「立山」山頂の雄山神社峰本社の写真がある。左下の千鳥の形の枠内に「伏木港」の写真がある。写真の周りには鳥、草花、波などが描かれている。



⑦皇太子殿下行啓紀念富山県観光案内絵葉書
年代:明治42年(1909)
作者:富山県発行、東京日本橋区数奇屋町ともゑ商会製
寸法:縦14.2cm×横9.0cm

上部に富山県の地図が描かれている。地図中には、富山県の郡名(下新川郡・中新川郡・上新川郡・婦負郡・東砺波郡・西砺波郡・射水郡・氷見郡[明治29年(1896)3月31日より])、主要な地名、河川名、山の名称、主要道路、鉄道、航路などが記されている。
鉄道をみてみると、北陸本線富山-魚津間が開通し、魚津駅が終着駅となっている。富山-魚津間が開通し終着駅となったのは、明治41年(1908)である。同43年(1910)本線が泊駅まで延伸したため、魚津駅は途中駅となる。したがって、この地図は明治41年から同42年の状況を描いていると推察される。
下部には、富山県の特産品の絵(農業・漁業・富山の売薬・織物業・製糸業・高岡銅器・高岡漆器)が描かれている。



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⑧「福井市役所・内田機業工場内部」
年代:明治42年(1909)
作者:福井市役所発行、東京神田浪華屋製
寸法:縦9.0cm×横14.2cm

右上の枠内に「福井市役所」の写真がある。左下の枠内には、福井市佐佳枝中町にあった絹織物工場「内田機業工場内部」の写真がある。写真の周りには、花や蝶などが描かれている。
右下に、菊の紋と鳥が描かれ、「東宮殿下/行啓紀念」「福井市」とあるスタンプが押されている。(このスタンプは⑧~⑫共通)

表面には、右読みで「郵便はかき」と1/3線がある。これは、明治40~大正6年(1907~17)発行の特徴である。また、「CARTE POSTALE」「福井市役所発行」「乙種」「東京神田浪華屋謹製」とある。



⑨「別格官幣社藤島神社・義貞公戦没の址・景岳先生の詩」
年代:明治42年(1909)
作者:福井市役所発行、東京神田浪華屋製
寸法:縦9.0cm×横14.2cm

右下の枠内に「別格官幣社/藤島神社」の写真が、左下の枠内に「義貞公戦没の址」(新田塚)の写真がある。中央の枠には「景岳先生の詩」「常山之舌/侍中之血/日月韜光/山河改色/生為名臣/死為列星」が書かれている。景岳とは、幕末の福井藩士・橋本左内の号である。写真の周りには、花や蝶などが描かれている。

表面には、右読みで「郵便はかき」と1/3線がある。これは、明治40~大正6年(1907~17)発行の特徴である。また、「CARTE POSTALE」「福井市役所発行 乙種」「東京神田浪華屋謹製」とある。(表面は⑨~⑫共通)



⑩「内田機業工場内部・福井市役所」
年代:明治42年(1909)
作者:福井市役所発行、東京神田浪華屋製
寸法:縦9.1cm×横14.3cm

右上の蚕の繭のような形の枠内に、福井市佐佳枝中町にあった絹織物工場「内田機業工場内部」の写真がある。左下の長方形の枠内には「福井市役所」の写真がある。写真の周りには、織物を織るときに緯糸(よこいと)を経糸(たていと)に通すために使用する道具である杼(ひ)や蚕、葉などが描かれている。



⑪「景岳先生の詩・義貞公戦没の址」
年代:明治42年(1909)
作者:福井市役所発行、東京神田浪華屋製
寸法:縦9.2cm×横14.4cm

右上の扇の図中に、「景岳先生の詩」「常山之舌/侍中之血/日明韜光/山河改色/生為名臣/死為列星」が書かれている。景岳とは、幕末の福井藩士・橋本左内の号である。左下の枠内に「義貞公戦没の址」(新田塚)の写真がある。写真の周りには、桜や草花模様が描かれている。



⑫絵葉書 嘉仁親王(大正天皇)
年代:明治42年(1909)
作者:福井市役所発行、東京神田浪華屋製
寸法:縦9.1cm×横14.4cm

右の2羽の鳥で作られた枠内に嘉仁親王(大正天皇)の写真があり、その周りには菊や草花模様が描かれている。



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⑬絵葉書 嘉仁親王(大正天皇)
年代:明治42年(1909)9月29日
作者:東京神田浪華屋製
寸法:縦14.0cm×横9.0cm

左上の植物が描かれた枠内に、嘉仁親王(大正天皇)の写真がある。右下には「行啓記念」の文字がエンボス加工で記されている。
左下に、「東宮殿下行啓紀念」「42.9.29」「北陸タイムス社」とあり、菊の紋と国旗が描かれたスタンプが押されている。(このスタンプは⑭と共通)

表面には、右読みで「郵便はかき」と1/3線がある。これは、明治40~大正6年(1907~17)発行の特徴である。また、住所氏名を書く空間は流線で囲まれており、「Carte Postale」「Naniwaya Co.Kanda,Tokyo.」「東京神田浪華屋製」「TRADE MARK」とある。(表面は⑭と共通)
右下に菊切手「壱銭五厘」が貼付され、その上にスタンプが押されている。スタンプには、「神宮式年御遷宮紀年」「五十鈴川」「明治四十二年十月二日」とあり、武具などが描かれている。伊勢神宮では、明治42年10月2日に第57回内宮式年遷宮、同月5日に第57回外宮式年遷宮が行われているので、その記念スタンプと考えられる。(このスタンプは⑭と共通)
中央左に朱字で「□□」とある。



⑭絵葉書 皇太子妃節子殿下・東宮御所
年代:明治42年(1909)9月29日
作者:東京神田浪華屋製
寸法:縦9.0cm×横14.1cm

左上の円形の枠内に、皇太子妃節子(さだこ)(貞明皇后、九条節子)の写真がある。中央から右にかけて長方形の枠があり、その中に東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)の写真がある。写真の周りには桐が描かれている。
裏面右上に菊切手「壹銭」、表面中央下に菊切手「五厘」が貼付されている。



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⑮絵葉書 皇室御一家
年代:明治40~大正6年(1907~17)
寸法:縦9.1cm×横14.1cm

明治42年(1909)に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の行啓を記念して作られたと考えられる絵葉書である。しかし、明治42年の北陸行啓と断定するのは難しいため、年代は明治40~大正6年とした。
中央の枠内に皇室の子息と思われる3名の人物の写真があり、その周りにはリボンで束ねられたバラの花が描かれている。

表面には、右読みで「郵便はかき」と1/3線がある。これは、明治40~大正6年(1907~17)発行の特徴である。また、「UNION POSTALE UNIVERSELLE./CARTE POSTALE」とある。(表面は⑯と共通)



⑯絵葉書 嘉仁親王(大正天皇)・東宮御所
年代:明治40~大正6年(1907~17)
寸法:縦9.1cm×横14.0cm

明治42年(1909)に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の行啓を記念して作られたと考えられる絵葉書である。しかし、明治42年の北陸行啓と断定するのは難しいため、年代は明治40~大正6年とした。
右上の円形の枠内に嘉仁親王(大正天皇)の写真があり、左の長方形の枠内には、東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)の写真がある。写真の周りには桜が描かれている。

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高岡 / 行啓 / 絵葉書 / 読みで

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