絵葉書「高岡桜馬場公園」
えはがき「たかおかさくらばばこうえん」
概要
高岡桜馬場公園を撮影した絵葉書である。公園の両脇には桜並木が続き所々に雪洞(ぼんぼり)も設置されている。右側手前の立看板には「大正二年四月/高岡市役所」とあり、写真の撮影された年代がわかる。左側には高岡商品陳列所の看板があり、また桜並木の奥には行き交う人々や人力車が確認できる。
表面には、「UNION POSTALE UNIVERSELLE.」、「CARTE POSTALE」の文字がある。右読みの「郵便はかき」、1/3線があることから、絵葉書の作成年代は明治40~大正6年(1907~17)と推定できる。
未使用。
桜馬場公園
慶長15年(1610)に高岡城に付属して設置された馬術訓練場。付近はすべて侍屋敷で、藩士が引き揚げた後は市街地と畑地に変わり、馬場(広場)のみがそのままに放置されていた。馬場の両側には土手を築き桜が植えられ、やがてここは北陸有数の桜の名所となり「桜馬場」と呼ばれるようになる。
ところが、明治3年(1870)3月に高岡城跡並びに御旅屋、桜馬場を開墾などのために民間へ払い下げるよう命令が出され、最終的に豊饒社(肥料取引会社)社長・鳥山敬二郎[天保13年(1842)生。衆議院議員や高岡市長を歴任]が、この地を社で買い取り、明治23年(1890)に高岡市に寄付した。同35年には条例を定め、公園に指定された。同42年の皇太子(後の大正天皇)行啓を迎えるにあたり整備が行われ、古城公園と連結するため定塚町通りまで突き抜け、両側に桜を植えた。同44年には桜馬場公園保勝会が結成され、高岡市は要望に応えて老樹を保護して木柵をかけ、桜時期には雪洞(ぼんぼり)を設置するなど保勝に力を注ぎ、県内外からの多くの観光客を集めた。
昭和14年(1939)には、富山県が桜馬場公園の桜を県の天然記念物に指定したが、周辺の交通量の増加などで荒廃が進み、同30年(1955)には公園指定が取り消され、現在に至っている。
<参考文献>
『高岡市史』下巻 高岡市役所,1969
高岡市市制100年記念誌編集委員会編『たかおか―歴史との出会い―』高岡市,1991